川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

鏡開き

 我が家のお鏡は小さい上に、かなりのカビ侵入具合だったため、食べられず。
 しかし、実家で持て余しているお鏡を引き取ると言うミッションがあるため、まぁ、いいか。
 てな訳で、実家から引き取ったお鏡。おぜんざいに少し、入れました。

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 まだまだあるのだが、両親に食べさせるには揚げるのがいいんだよね。普段揚げ物しないので、ちと、気合いがいるな。
 まぁ、その前に、まずはしっかり乾燥。
 おぜんざいは、豆が少し固かったな。

出演します

 清流劇場、初参加です。

seiryu-theater.jp


 いままで観客として観ていた清流劇場さん。いざ、その稽古場に立つと、自分の至らなさを痛感するばかり。
 今回の作品は群衆劇。去年の楽園王でも多いと思ったけど、それ以上。目下、共演の皆様を覚えるのが大変なんじゃないかと思う日々でもあります(^_^;)。
 一心寺シアターの舞台に立つのも初めてですよ。

 19世紀の労働争議を描いた作品で、搾取するものと搾取されるもの、と単純に捉えるわけにはいかないのが、面白いです。
 これを、現代の私たちとどうリンクさせるか、ってのが見処でしょうか。
 3月。はい、お手元のスケジュール帳に加えていただけるとありがたし。
 そうそう、チラシに役者の写真が入っているのですが、横顔。眼鏡外した横顔は、自分でも新鮮。髪もおろして、誰これ?
スフィンクスやな」by相方。
スフィンクスの謎の答えは、いつも人間!」と、『半神』ごっこに走る深夜でありました。
遊んでいる場合ではないな(^_^;)


 皆様、御予約お待ちしております。メッセージ下さいな。
 あるいは、直接こちらのフォームで。川島むーの窓口です。
https://ticket.corich.jp/apply/105142/013/

25年

 25年前、とんでもない揺れになすすべもなかった。
 特に大きな被害はなく、けれども間近にいたことでの傷っていうのはあって、だから、タイトル通りセンチメンタルではあるけれど、今年も、これを貼っておく。
 15年目にようやっと自分の中にあったものを言葉に書いて詠んだ詩。翌年に東日本大震災にあって、しばらくこれを詠んでいいのかと悩みながら、それでも毎年1月、どこかしらで詠んでいます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「 センチメンタル じゃあに〜 」
1948年、戦後復興期に
北陸を襲った大地の揺れを知る人は、少ない
その日(1948年6月28日)
ある家では、長男が帰ってこなかった
死者・行方不明者3769名の一人
終戦で拾った命、わずか3年
もしも長男が戻っていたら
次男が家を継ぐことは無かったろう
その妻が雪深い地で暮らす事も無く
その息子はどこで生まれどんな風に育ったろう

それは、私の伴侶となった人の家族の物語
ある日、舅に似た老人がふいに訪(おとな)う、それは夢物語

忘れない

1月17日と言う日
あの朝を

忘れない
 遠く地の底から、何者かがせり上がり迫ってくる気配
 地鳴り、地響き
カタカタと言う音
ずん!
 突き上げられ
 揺すられ、揺すぶられ
 動けない
 壁が柱が本棚が、きしむ、音
 暗闇の中、「止まって止まって」、心の中で叫び続けた

忘れない
 役立たずの私の備え
 転がって、手が届かなかった懐中電灯
忘れない
 冷静だった父母の身の処し方
忘れない
 公衆電話に並んだ近所の人たち
 震えていたのは寒さの所為だけじゃない

忘れない
 母の故郷、東灘
 無事だった、伯父一家の家
 倒壊したお隣さん
 焼け野原の商店街
 いとこと遊んだ公園に並ぶ、仮設住宅
忘れない
 妹が通う大学の街
 「999の駅みたいで格好ええやろ」
 建築科で学ぶ妹のお気に入りだった駅舎
忘れない
 「2月は、南京町春節祭行こな」
 実行できなかったデートプラン
忘れない
 やっと電話が通じたお調子者のあいつの、震える声
 「今行ったる!」口走っとったら
 焼けぼっくいになっとったかな?
忘れない
 非常勤勤務先の高校
 私を囲み喋り続けた生徒達
 包帯を示しながら、それでも笑いを交える
 あっぱれ関西人のやんちゃくれ
 みんなで笑うたなぁ、
 ・・・徹マンしとったって、呑気な3年生やなぁ・・・
忘れない
 枕元で砕けたガラス細工
 神戸元町のガラス屋さん
 出かけるたびに買うとった

忘れない
 風景が、
  壊れると言うこと

あの日、何かが少し違っていたら

いとこが寝る場所を変えていなかったら
 倒れていた箪笥
時間が出勤時だったら
 通り一面のガラス片
図面書きの仕事中だったら
 作業机に落下していた図面引き出し
 ・・・直撃ですがな
恋人の伊丹出張が続いていたら
 ひしゃげた駅舎
妹が大学に行ってる時間だったら
友達の下宿に遊びに行っていたら

身近に死んだ人がおらんかったんは
ほんの偶然
慰霊碑に刻まれた名前に涙しとったのは私かもしれん
刻まれたんが自分やったかもしれん

知っている
 あの日をきっかけに人生をかえた人を
 しまっていた夢に光を当て
 我から厳しい道に踏み出した人を
私?
問われれば、私もやっぱり、この日があるから
時に決意が鈍り、甘え、だらしない日々が続いても
嫌でも毎年やって来る、この日
突きつける
ちゃんとやっとるか?悔いは無いか?
一年でたった一日
心の中であの日を、あれからの日々を、辿る
センチメンタル・ジャーニー

年がら年中センチメンタル、じゃあないの
たった一日、大切に、もの思い過ごす日
進むために振り返り、足元を見つめ大地を見つめ、立つ
立ち位置を確かめる

この日、私はゆるんだタガを締めなおす

そうして明日がやってくる

人々が、それでも新たな日を迎え
前に向かって進みだした日々に
私も顔を上げて

センチメンタルな気分に、じゃあね!

 
 
 

忘れない時間

 

 コピー機、原稿の取り忘れにご注意下さい。
 うん、確かに原稿は確認した。そして、最後にコピーした5部を、うん、忘れてきたな。な~にをやってるんだか。
 うっかり者の私でも忘れることの無い日がやってくる。

 25年前の今頃、私は何も知らずに眠っていたんだな、と思う。
 翌日の高校での非常勤講師仕事の準備をして、加湿器がわりにホットプレートにお湯を張った古いお鍋を置いて。古くて底がガタガタになったお鍋は少し安定が悪かったのだが、あの日はいつになくカタカタとした揺れがおさまらなかったことを、鮮明に覚えている。押さえても、また揺れて、だから「あれ?」と思ったのだ。
 あの日以来、ユーミンの『あの日にかえりたい』は、私のなかでは青春ソングではなく、1月16日に帰りたいになってしまったな。
 17日、とにかく高校に行き、午後からの図面書きバイトに豊中市郷土資料室に行き。高速道路の橋脚が倒れていると言うのは、多分資料室でつけっぱなしのラジオからのニュースで知った。
 25年たっても、あの日の胸のざわつく感じはくっきりしている。

 まぁ、まさか、今度は横浜で東日本大震災にあうとは思わなかったけど。で、大阪戻って三度目の……って、そんなところ、二度あることはでなくていいのに。

 

小正月

小正月

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小豆粥食べて、お飾り外して、近所の神社のとんどへ。
「橙は外してください」との注意書き。ゴミ篭に無造作に入れられていく、橙、橙、だいたい橙。代々にひっかけたそれがぽいぽいと捨てられていく姿は、ちょっと残念。
それはそれとして、とんど。
「袋ごとどうぞ」との声かけ。でも、それはやっぱりなんだか違う気がして、袋から出して火の中へ。ま、そもそも使い捨ての袋で持ってきてないしな。
火にあたった後は境内でおぜんざいをいただく。
「どうですか?」「わしはもうちょっと甘い方がええな」「あら、私はちょうどいいわよ」そんな町内のおじいちゃんおばあちゃんのやり取りを聞きつつ。
粉吹きの塩昆布も用意されているのが嬉しいのでありました。
さて、小豆は一袋一気に茹でていたので、残りをどうするか。半分はあんこ、ぜんざい、半分は塩味にしようかな。
お腹の中が小豆祭りの今日、小正月



楽園王の授業

 楽園王の『授業』、好きなんだよなぁ。観たい。東京が大阪の隣にあればいいのに……。

stage.corich.jp

口内

 口の中が、つらいわぁ。奥歯治療中。麻酔切れるまでにうっかりほっぺた噛んでしまった。口内炎状態。しみるよ~。
 もともと、おえってなりやすい&口の中が狭いので、奥歯の治療は大変なのだ。何度か「ギブギブ……」とサイン出して、うがいして深呼吸して。もうね、吸引の器具とか先生の指があたるだけでもつらいから(涙)
「あと少し、がんばって」「よくがんばりました」励まされ褒められ労られ。次回、詰め物して終了……とはならないな。もう一ヶ所、怪しいところが。歯磨きはちゃんとしているつもりなんだが、ここ一、二年、ほんと、歯医者通いだわ。年齢的なこともあるのかな。

25年目を前に

 1月17日が迫る。25年。今でも、あの揺れの記憶ははっきりと残っている。
 ABC朝日放送さんが、当時の映像記録のアーカイブを公開している。地図からの絞り込み、カテゴリーでの絞り込みが出来るようになっている。
 都市部での直下型の怖さ。
 あれ以降、建物の耐震も見直されているとは言え、あの揺れは、東日本大震災のものとはまた、違うのだと言うことを忘れないで欲しいと思う。これ、毎年書いている気もするけど……東日本大震災を経験した首都圏の人が、あれで大丈夫だったからと思っていないかと言うのが心配。両方を経験してしまった身としての老婆心ですが。
 東日本大震災の時は横浜在住。確か翌年だったかな、学童保育の研修で防災センターへ。地震体験装置に順番に入って関東大震災の揺れを体験したのだけれど、最後のグループだけ「じゃあ、おまけで、阪神淡路タイプの揺れも」となったのでした。その時中に居た人たちは、皆、東日本大震災を経験している人たち。震度としては同じくらいでも、揺れのタイプが違うと全然違うことを体感して「え?え?」となってました。下から一気に突き上げてくる揺れ。その前の揺れでは倒れなかった大きな棚(に見立てたクッション)が倒れたりしておりました。
 昔の人がナマズが暴れるって言ったのが判るな、と1995年当時、思いました。地鳴りと共に、下から何かがせり上がって来る気配。竜が体をうねらせながらのぼって来る。そんなイメージが自分の中に残っています。
 

 

www.asahi.co.jp

 

 今年も、シアターセブンさんが上映してくれています。大切な、大切な映画。災害が起きるたびに、この映画を思う。たくさんの、その街のこどもを思う。

www.theater-seven.com