川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

海よ山よ、遠い日よ

 過日訪れたブラックチェンバー(black chamber)は、造船所跡地である。南港も近いその場所に見つけたアパートは、「白馬荘」「乗鞍荘」「穂高荘」(間にあったお店は北富士屋)。海の男は山に憧れる、ってことかしら。それとも、造船所で働いていた人たちの故郷?
 ちょっと、心の糸に触れる名前であった。


 今朝の新聞のコラムにあった文章。「「正しい日本語」が存在しないにしても、「美しい日本語」はあるはずだ。」
 心に刻んでおきたい一行であった。


 コラムで思い出したが、未だに疑問なのは、小学校の頃、新聞のコラムを切り抜いて、という授業があったのだが、某新聞のコラムがその代表のように扱われていたこと。我が家は当時大手2紙を取っていたが、かの新聞は取っていなかった(親父が嫌がった)。だから、当然のようにそのコラムの名前を出されても、ピンとこなかったのだ。
 右や左やという単純な色分けは好きではないが、当時のあの市は、いわゆる日教組教育お盛んな時代。もろ左向き。いや、左を向け、という教育。今思えば、ほんとに訳のわからないことが多かった。「これは戦争のときにあった制度だから反対」「これは、戦争のときの教科書と装丁が似ている。危険である。」と言う説明に単純に納得し、憤る小学生。家に帰って親に言ったら、「それのどこがいけないの?ちゃんと説明できる?」扇動されていただけであることに気付かされた

 恐いのは、右か左かではなく、さぁ皆で!と煽られることだと知った。


 う〜ん、コラムから、話がとんだ思い出話に飛んでしまった。いまも、あの日々は反面教師。あの時の教師達は、いま、どんな風に子供たちに向かっているのだろう。