川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

生きる

 13年が過ぎました。

 この日だけは、あの日何が起きたのかを、何を感じたのかを、しっかりとかみ締める。
 それは、振り返って失ったものを嘆くためではなく、この命をどう生きるのか生かすのかを考えるため。


 私自身には直接的な被害は、無かった。けれど、ほんの少しタイミングが違えば・・・。伯父一家の住む神戸、妹が大学に通う神戸、少し前まで彼が仕事で出掛けていた伊丹、当時の私の職場は2箇所とも大阪府下で被害の大きかった豊中、生徒達の暮らす豊中

 今、ラジオをつけている。こちらのFMでは今日一日防災特集。あの日は、職場でラジオをつけっぱなしだった。次々と伝えられる状況を余震の中で聞いていた。災害時は、テレビよりラジオと実感。

 関東に越してきて、やはりこちらでは実感が無いのかなと思うことも多々あり。でも、それは仕方の無い事。私だって、あの日が来るまでは、「歴史的に見ると、関西でも大きな地震が起きてるからね、いずれ大きいの来ると覚悟して備えとかなあかんよ〜。」などと毎年授業では話していたが(慶長の大地震の話に合わせて、地震考古学などの話をしていた)、いざとなったら、なんの備えも出来ていなかったことに歯噛みしたのだから。

 だから、うるさいと思われても、話すようにしている。ほんの片隅であったとは言え、あの日を経験した者として、まず出来る事はそれしかないのだから。

 最近、気になることのひとつ。公衆電話が減っている。いざと言うとき、携帯は役に立たなくなる。なのに、見回しても電話が無い。更に、最近の子供は公衆電話の使い方も知らないとか。小さい子供さんをお持ちのお父さんお母さん、教えてあげてください。常に、10円玉を持たせてあげてください。連絡が付かない。それがどれ程不安なことか。可能なら、災害用伝言ダイヤル「171」の使い方を教えてあげて下さい。たった一言、声が聞ける。それがどれ程心を落ち着かせるか。どうか、どうか・・・。


 さて、我が家は・・・天井の材質のせいか、家具転倒防止の突っ張り棒が入れられない。引越してから判った、びっくりだよ。だから、常に、家の中での安全ポイントシミュレーション。とっさに、どこに身を避けるかを各部屋で考える。非常用持ち出し袋にひとまとめ、と言うのはかえって不安なので、水、救急箱、食品・・・必要なものを指差し確認。でも多分、とっさにつかむのは、ぬいぐるみ、なんじゃないかと思っている。それも、きっと、必要なもの。