川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

1・17〜センチメンタル・ジャーニー〜

 今日は、初参加の「ぽえとりー劇場」でした。初めてのベンズカフェでした。

 正直、迷いました。この日の事を、毎年日記では書いていたけれど、詩にはしてこなかった。私自身、大きな被害は無かった。そんな私が言葉を書き連ねて良いのか。奇麗にまとめてしまうのではないか。それでも、詠むなら今日しか無いと言うことも判っていた。奇しくもお題は自己紹介(ひとつは、お題のものを、と言うことでした)。ならば、詠んでみよう。物的、人的に、大きな被害が無かった人間の心にも大きな傷を残していった、あの出来事を。
 出かけるギリギリまで、迷って迷って、そう決めました。



「センチメンタル・じゃあに〜」

1948年、戦後復興期に
北陸で大地が激しく揺れた事を知る人は、今や、少ない
死者・行方不明者3769名
ある家では、ある青年の、兄が帰ってこなかった
どこでどうなったかも判らぬまま
もしも兄が戻っていたら
青年は家を継ぐこともなく
その妻が雪深い地で暮らす事も無かったろう
二人の子供はどこで生まれどんな風に育ったろう

それは、私の夫となった人の家族の物語


今日と言う日

忘れない
あの朝を

忘れない
 遠く地の底から、何者かがせり上がり迫ってくる気配
 地鳴り、地響き
ずん!
 突き上げ
 揺すられ
ゆっさ、ゆっさ、ゆっさ
 壁が柱が本棚が、きしむ、音
 暗闇の中、「止まって止まって」心の中で叫び続けた
忘れない
 冷静だった父母(ちちはは)の身の処し方

忘れない
 母の故郷(ふるさと)、東灘
 一ヵ月後にそこで見たのは
 無事だった、伯父一家の暮らす家
 倒壊したお隣さん
 焼け野原の商店街
 子供の頃、いとこと遊んだ公園に並ぶ、仮設住宅
忘れない
 妹が通う大学の街
 「999の駅みたいで格好ええやろ」
 建築科で学ぶ妹のお気に入りの駅舎
忘れない
 「2月の旧正月は、南京町春節祭に行こな」
 実行できなかったデートプラン
忘れない
 やっと電話が通じたお調子者のあいつの、震える声
 あんときフリーやったら、「今行くから!」
 焼けぼっくいになっとった?
忘れない
 勤務先の高校
 非常勤講師の私を囲み、喋り続けた生徒達
 包帯を示しながら、それでも笑いを交える
 あっぱれ関西人のやんちゃくれ達
 みんなで笑うたなぁ、
 徹マンはあかんでぇ
忘れない
 枕元で砕けたガラス細工たち
 元町のガラス細工屋さん
 出かけるたびに買(こ)うとった

忘れない
 風景が、
  壊れると言うこと

あの日、何かが少し違っていたら

いとこが寝る部屋を変えていなかったら
 両側から倒れていた家具
時間が出勤時だったら
 通り道、砕け散っていた、ビルのガラス壁面
図面書きの仕事中だったら
 棚の上から落下していた図面引き出し
 ・・・机に刺さっとったがな
恋人の伊丹出張が続いていたら
 ひしゃげた駅舎
妹が大学に行ってる時間だったら
友達の下宿に遊びに行っていたら

身近に死んだ人が居なかったのは
ほんの偶然
慰霊碑に刻まれた名前に涙していたのは私かもしれない
刻まれたのが私だったかもしれない

知っている
 あの日をきっかけに人生をかえた人を
 しまっていた夢に光を当て
 我から厳しい道に踏み出した人を
私は?
「なんでそんながんばれんの」
問われれば、やはり、この日があるから
時に決意が鈍り、甘え、だらけても
この日は嫌でも毎年やって来る
突きつける
ちゃんとやってるか?悔いは無いか?
一年でたった一日
私は
心の中であの日を、あれからの日々を、辿る
センチメンタル・ジャーニー
年がら年中センチメンタル、じゃあねぇ
たった一日、大切に、もの思い過ごす日
進むために振り返り、足元を見つめ大地を見つめ、立つ
立ち位置を確かめる

この日、私はゆるんだタガを締めなおす


そうして明日がやってくる

人々が、それでも新たな日を迎え
前に向かって進みだした日々に
私も顔を上げて

センチメンタルな気分に、じゃあね!


          
   〜2010年1月17日 ベンズカフェ「ポエトリー劇場」にて、詠む