川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

寄付と言う名のもとに・・・

 もうすぐ、あの日がやってきます。

 1/17。震災の日。

 そして、どうしても思い出してしまう光景があります。

 そんな中で、例のタイガーマスク騒動(運動、とは言いにくいなぁ)。ちょっとひっかかっていたのだが、やはり、お礼とお願い、なんてものを出さざるを得なくなりましたか。で、その事に否定的な意見もあるようなのだけれど・・・。

 震災から一ヵ月後くらいだったかな。ボランティア神戸に入りました。避難所になっている小学校へ行き、案内されたのは、あれは家庭科室だったか理科室だったか。同じくボランティアで入った人と3人で、全国から送られてきた衣類の整理作業を行いました。

 寄付行為と言う好意の名のもとで送られてきたそれは、部屋いっぱいに積みあがった段ボール箱やら袋やら。

 正直言って、使い物にならない物が多かったです。古着が駄目と言うのではないのです。洗濯もせず、要らない服を詰め込んだような物がどれだけあったか。捨てようと思った物を、ちょうど良いとばかりに送りつけてきた。そんな風にしか思えないような衣類・・・。
 冬の最中、ゼッケンがついたままの子供の水着、穴だらけのセーター、シミだらけのシャツ。ヨレヨレのTシャツ、下着・・・。その日の作業で確認した衣類の半分は、申し訳ないけれど、ゴミにするしか無い物でした。
 ボランティアで入った人間だったから、ドライに、「これオッケー」「これアウトー」と仕分けが出来たけれど、これ、避難して来ている人たちには、きつい作業だよなぁと思いました。
 もちろん、奇麗に洗濯して、きちんと畳んで送られてきているものもありましたよ。それは、ほんと、ありがたいなぁと言う気持ちになりました。

 好意なんだから、貰えるんだから、感謝してありがたがるべきってのは、やっぱり違うよ、と思う。
 いや、この一連の行為があかんと思うのではないのだ。ただ、もう一歩、想像力を働かせなあかんのと違うかなぁと。
 
 最初にランドセルを贈った人は、きっと、一生懸命考えての好意だったのだろうと思う。今、その人は、この状況をどう思っているのだろう。


 そうそう、イタリアで結婚した姉貴が言ってたなぁ。結婚祝いは、ちゃんとリクエストできるシステムになっているんだそうな。新郎新婦が必要なものをリストアップしておいて(お店にあずけとくんだったかな)、お祝いを贈りたい人は、それを見て、じゃあ私はこれを、うちはあれを、と言う風にするんだそうな。
 合理的で、無駄がなくて、贈る方も貰う方も嬉しい。結婚祝いって、新たな暮らしのスタートに贈るものだから、やっぱり、必要としている使える物が良い。

 誕生日プレゼントなんかなら、サプライズで当たり外れがあっても面白いと思うけど、ね。