川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

夏祭り考

 夏祭りは、なんで熱いのでしょう。と、そんなことをお祭りのさなかに考える。

 箕面で育った私には、子供の頃、お祭り=秋祭り=天狗祭りだった。駅前広場での夏の盆踊りは、祭りと言うより、イベントだった。
 で、少し成長してくると、天神さんや祇園さんと言った、派手な夏祭りが目につくようになる。電車に乗って友人たちと出掛けるようになる。

 日本の有名なお祭りって、派手なのはたいがい、夏祭りのような気がして、なんでかなぁと思ったわけだ。

 秋の祭りは、収穫を喜び、感謝するもの。そこにあるのは、ほっとした思い、希望。
 冬の祭りは、暖かい春を呼び込むための予祝行為。常緑樹を飾ったり、太陽に見立てたものを飾ったり。来たるべき季節への希望。外は寒くても、暖かく感じられる(クリスマスも、本来は冬至祭りですな)。
 春の祭りは、これはもう、「春が来た〜!」と浮かれてるわけで……。

 夏の祭りは、なんだか意味合いが違う気がする。
 疫病封じ、霊迎え、霊送り、霊鎮め。そこには、死が、死者が存在する。かつて、手の施しようのない疫病に苦しんだ人々の、祈り。死んだ者が安らかである事への祈り。暑さの中で湧き出てくる、怖ろしいものを、封じようとする(疫病=恨みを持っている霊の仕業)。だから、他の季節の祭りと違って、「力強さ」が前面に出てくるのかな。派手さも華やかさも、力を示す行為だよね。

 お祭りの場に立ち会うとき、その根本にある古人の思いを忘れてはいけない、と思う。見えないものの存在を感じながら生きていた人たち。見えるものだけを見ていてはいかんのだ。

 なぜ、自分の企画名に祭りを入れているのかって事。見えないもの、そこにないものを呼び寄せる。

 なんてことを考えていたら、風姿花伝を読み直したくなってきた。