川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

当日券を待ちながら

 大倉孝二さんのひとり芝居『ゴドーは待たれながら』の当日券を求めて待つ人々の一人になる。
 3時半の段階で、待つ人6人。当日券待ちは、野田地図の『ザ・キャラクター』以来かな。
 ちなみに、販売開始は18時。ツイッターによると、2時間前に来て買えなかったと言う日もあった模様。これが、販売開始の2時間前なのか、開演19時の2時間前なのかは不明。

 仕事休みを幸い、とっとと並んでいる私。
 過ごし方は人それぞれ。
 私は保温マグに温かい黒豆茶。お菓子におにぎり。有川浩と妖怪学と数独と手帳で備えはばっちり。
 待たれながらを待ちながら、『ゴドーを待ちながら』を読んでいる人もあり。
 そして、劇場には、待たれるゴドーを演じる姿を待たれている大倉孝二さんが居るわけだ。
 ゴドー待ち、と言ったとたんに、「朝日のような夕日をつれて 僕は立ち続ける つなぎあうこともなく 流れあうこともなく……立ち続けることは苦しいから 立ち続けることは楽しいから 朝日のような夕日をつれて ぼくは、ひとり」と鴻上台詞を呟く私は、バブル世代である事がばれますな。

 はい、ひとりで待ち続けま〜す。でも、鴻上の台詞はこのあと「ひとりでは耐えられないから ひとりでは何もできないから ひとりであることを認めあうことはたくさんの人と手をつなぐことだから たくさんの人と手をつなぐことはとても悲しいことだから……」と続くのだな。だから、何かあったら、お隣さんとつなぎあうのだ、きっと。

 
 ……で、買えた訳ですよ、当日券。早過ぎたかなぁと思ったけど、いい位置で、パイプ椅子とは言え背もたれのある椅子を確保出来たので、がんばった甲斐がありました。

 と言う事で、観劇。以下、軽くネタバレは、あるかも……?



 いや、まぁ、タイトル通り、ベケットの『ゴドーを待ちながら』の裏返し。待たれているゴドー(神?)らしき男のひとり芝居。いつ、どこで、誰が待っているのかもわからなくなり、いや、そもそも待っている奴はいるのか?世界はまだあるのか?
 時々、神、らしき台詞。しばしばとるポーズは半跏思惟像、つまりは弥勒菩薩。釈迦入滅後56億7千万年後の未来に姿を現れて、多くの人々を救済するとされる、出現を待たれている仏様ですな。あるいは、「裸で踊ってる女は居ないか」と言っているのは、天岩戸に籠った天照大御神のイメージ。台詞の端々に、細かい仕掛けがある訳だ。
 
 そして、これもゴドー待ちの裏返しで、少年がやってくる。扉の向こうから声が聞こえる。誰がやるのかなぁと思っていたら、まさか野田さんとは。そうか、そうきたか。上のホールで、『おのれナポレオン』にも出演中の芸術監督を持ってくるか。
 メッセージを復唱させられるのだが、最初は少年の棒読みっぽいのが、段々、野田秀樹風セツない台詞回しになるのが可笑しい。

 話は救いが無いけど、笑える芝居。ふとした時の大倉さんの横顔のカッコ良かったこと。立ち姿にキュンとなってしまったり。こういう大倉さんのカッコよさは、テレビでは伝わりにくいんだろうなぁ。