川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

観劇『ドレッサー』

 三谷幸喜演出の『ドレッサー』を観てきました。

 おっと、ネタバレの可能性あり。これから観劇予定の方は、ここでお帰り下さいませ。









 戦時下のイギリスで旅回りをしているシェークスピア劇団。『リア王』上演を前に、老座長は精神的に不安定に。公演中止を考える舞台監督や座長夫人。付き人ノーマンは「大丈夫」となんとか座長を奮い立たせようと孤軍奮闘。ようやく幕は開いたが……。バックステージものの名作。映画にもなっている。三谷幸喜の『ショウ・マスト・ゴー・オン』はこの作品へのオマージュ、だよね。
 20代の頃に観た『ドレッサー』は誰の演出だったろう。あれが『ドレッサー』初体験。ノーマン:柄本明、座長:三國連太郎でした。今回は、ノーマン:大泉洋、座長:橋爪功。ん〜、なんだろう、この印象の違い。全体に軽やか。演出の違いか役者の違いか。……両方、かな。
 大泉ノーマンが、明るいのだ。こざっぱりしていて。いや、本質はかなりの欝屈を抱えているのだが、一見すると陽気に楽しく振る舞っている。多分、前に見た柄本さんのノーマンは、欝屈・卑屈さが前面に出ていて、その中で抱いていたたった一つの誇りが、手記ノートで崩れて行く。そこに手を加える屈辱、哀しみがもの凄く迫って来たのだが、今回のこのシーンは滑稽さが先に立つ。と言うか、前に見たのはここで終わった気がしたんだけれど、これは記憶違い?やはり、パンフを買うべきであったか。などと思いながら、そこからのシーン。 
「ビール一杯、おごってもらった事が無かった」
 気付いたら、この台詞でじわっと来てました。
違いはここだな。柄本ノーマンは、焦がれ焦がれた愛する人に振り向いてもらえなかった哀しみと憎しみ。愛人としての思いと誇りと恨み。大泉ノーマンに感じたのは、父に忘れられた子の哀しみ。そう、ゲイであると言う設定が、大泉ノーマンからはあまり感じられなかったのですね。これは、意図的、なのでしょうか。
 それにしても、大泉ノーマンの、ちょいちょい挟んでくる物まねの上手い事。え〜っと、野田秀樹さんの真似も入っていた気がするのは、気のせいかしら。
 それにしても、浅野和之さんは、やはり上手いなぁ。色々出来る役者だからこそ出来る、不器用な人物。台詞も出番も多くは無い役で見せる、確実な存在感。やっぱり、好きだなぁ。今も、道化のメイク顔が目の前にちらつきます。
 あと、平岩紙さんの可愛い事。ちょっと、キュンとなりました。