川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

伊香保日記・1(歴)

  万葉集にもその名が登場すると言う伊香保温泉。
 
 それにしても、関東は、武田氏による湯治場が多い。戦の世が温泉を育てた訳だ。
 武田勝頼が、負傷した兵の療養場所として当時上州を支配していた真田昌幸に命じ、整備したのが伊香保温泉。日本初の、計画的に作られた温泉街。
 天正4年(1576)、傾斜地を利用して石段を作り、湯元から湯を引き石段の下を通し、引湯口から各宿に分湯。
 十二の「大家」(湯の権利を持つ家)があり、十二支にちなんだ名を与えられたそうな。その筆頭として「子の湯」の名を貰ったと言うのが、今回のお宿、ホテル木暮(もとは、木暮旅館)。いつになく贅沢なお宿でございました。湯量の4割を持っているのだとか。
 ちなみに、十二の宿のうち今も残るのは、この木暮さんと、酉の湯の千明仁泉亭、辰の湯の岸権旅館だとか(第1候補は岸権だったのですが、既に満室でした)。
 
 そうそう、温泉手拭い、温泉まんじゅうも、この伊香保温泉が発祥だそうな。

 石段街には十二支のプレート。

 鬼、いやさ雷さんも発見。

 あと少し、と言うところで石段は曲がります。そこでソフトクリームとか……ああ、もう、食べてしまうやないですか。