川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

時間堂

 予定より二日早く、今日、大阪へ。今日のうちに帰り着ければよいので、時間堂だけは見に行けるな、とほっとする。
 と言うことで、午前中は友人の家でゆったりのんびり。財布の中身を整理したり、手紙を書いたり。
 観劇後に帰ることを考えると、どう動こうかなと思ったが、友人の勧めで、まずは東京駅のロッカーに荷物を預ける。終演後どれくらいで戻ってくるか判らないので、19時台の指定席をおさえる。

 いざ、赤羽へ。時間堂最終公演『ローザ』。
 おっと、まだ上演中。以下、ネタバレになるかも。




 
 ドイツの革命家ローザ・ルクセンブルク。その死後、墓前にやって来た三人の女と一人の男。それぞれにローザと関わり、それぞれに今は立場の異なる四人。
 そこにいない人物を、関わった人間で浮かび上がらせると言うのは、まぁ、あるパターンなのだが、ローザ、登場しますね。いろんな場面での色んなローザ。その立ち現せ方が面白い。
 しかし、これは役者は大変だわ。演じている役と、もう一人と、そして役を離れてのお喋りとが行ったり来たり。
 話自体は、重さがある。それを(いい意味で)軽やかにしてしまう演出。白い空間に黒い衣装とローザを表す赤がくっきり。シンプルに美しい。
 先日、観てきた芝居は、現代の社会における問題をリアルに描いていた。ドキュメンタリー演劇と書いていた人もいたな。面白かったけれど、どこか釈然としなかったものがなんなのかが、ちょっと見えた。

 やっぱり私は演劇に、舞台ならではのものを求めているのだ。演劇ならではのカタルシス。それを感じきれなかったから消化不良だったのだ。
 その点で行くと、『ローザ』は小さな空間の中で、あくまでも演劇的。そして、攻めてくる。試みを重ねて行く。物語そのものの面白さと、演劇的面白さ。
 少し昔のドイツの物語が、今に通じる物語としてすっと自分の中に落ちてくる面白さ。

 アフタートークは関西のiakuの横山さん。ここでの対談も面白かったのでした。「何故解散するのか」と言う話とか。色々、うなずきながら聞いてしまった……。
 それにしても、ここ半月の間に見た2本の芝居が、地下・白い空間・三方囲み舞台と言う共通項があると言うのが、なんの巡りあわせでしょうね。