川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

宿題って

 宿題ってなんだろね。
 今バイトをしている学童では、学習時間を設けている。宿題をやる時間。
 宿題は不要!と言う人もいるけれど、やり方次第と言う気もする。
 予習のため?復習のため?理解度をはかるため?

〈算数〉
 四則計算の意味をよく判っていないために、計算問題は出来るけど文章になると止まってしまう子は、学童での時間内で終わらないので、説明しようとしても、「教えて」=「答えを教えて」。ヒントや説明に「そんなのいいから」とイライラしだす。答えを教えても意味がないし、とは言えそのままにしたら、家に帰ったら親から「なんでちゃんとやってないの?」だろうし。
 理解できていないところを把握する役には立っていない気がする。
 四則の意味が把握できていない子に、文章題のプリントを漫然と渡してもなぁ。出来ない感だけが増していく。

〈国語〉
 漢字ドリル、プリント。まぁ、字は書いて覚えるって要素があるから判らなくもないけど、たくさん書くより、丁寧に書く方がいいんじゃないのか?と思う。めっちゃ雑になぐり書いてもなぁ。私もやった覚えがあるけど、先にヘンだけば〜っと書いてしまうとか……

〈音読〉
 これも、回数読ませるのは、どうなの?高速適当読みになってる。詩や物語なら丁寧に一回音読でいいと思う。でも、ローマ字の単元で、ローマ字の説明文(一行の説明が、ローマ字例とともに、いくつか)とか、なんのための音読?ただのノルマやん。無理に音読宿題出さなくても。
 物語なんかだと、家で親に聞いてもらうと言うのが、親子の時間として有効とも思うけど。

 なんとなく、宿題がノルマ、苦行になっている。
「で〜きた」と簡単に出来るものの方がいいと思うのだけど。小学校での基礎って大事。ここで躓かせない、知ること学ぶことが面白いって思わせるのが小学校だと思うのだけど、少なくとも、今見ている宿題は、その役には立っていないよなぁ。
 先生も親も、ノルマを果たすことが大事になってる気がする。