川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

chori君のこと

 さて、どこから書くべきか。
 5分芝居の1日目、8/24、自分の出番が終わった楽屋で開いたスマホ。訃報。いつか来ることは、覚悟していた。自分より若い彼に対してそんな思いを抱かざるを得なかったことが、腹立つよ。それでも、もう少し先だと思っていた、思いたかった。
 8/24はchori君主催のスラム、ポエトリー・ナイトフライト。本当なら行っているはずが、コロナで5MinutesuEmotionsへの出演を8月に変更してもらったことで、「行けない~、9月は行くから~」と言っていたのに。
 8/24のナイトフライトは、主催不在で開催。多分、色んな思いで向かった人たちがいたのだと思う。私も、と一瞬、思った。厳選回も、後の交流会も参加せずに京都に向かうか?
 でも、違う、と思った。今、もし私がするのなら、新しく出会う人に、今回の芝居がポエトリーリーディングから生まれたものであることを伝え、そんな面白い世界があるんだよって伝えること。だから、大阪にいたよ。
 彼との出会い(出会いって言うのかな)は、もう20年ばかり前。詩のボクシングをきっかけにこの世界に足を踏みいれ、この界隈のことはよく知らず、でも、妙に自信も持っていた頃(恐いわぁ)。あるライブに出て、その場には彼もいたのだね。後からネット上で、なかなかの上から目線の評が書かれていたのだ(あ、決して悪い内容ではなかった)。知らない若者(あの時は、まだ十代?)の言葉に「は?なんでこんな偉そうに書かれないかんの?誰?へぇ、有名な人なんだ」って思ってたのね。いや、すまんすまん。
 その後も、直接かかわる機会はなく、名前だけはあちこちで聴くって状態。
 だから、本格的にかかわるようになったのは、大阪に戻ってきて、投げ銭スラムのポエトリー・ナイトフライトに参加して……っていう間にコロナ禍。そしたらオンラインでのスラムを開催してくれ、それに参戦、対面でのナイトフライト再開してからは月一顔を合わせるように。
 そんな中で見えてきた彼の姿は、まぁ、良い面もあかん面も、色々。

 それよりなにより、あの投げ銭スラムの場を月一回続けてくれたことには感謝しかない。場を維持するのって本当に大変。東京でも大阪でも、定期開催をうたうオープンマイクやスラムが生まれては消えってのを見てたから。
 思うところは色々あれど、まずは、お疲れ様。ありがとう。
 でもなぁ、やっぱり、同じ場に立っていた同世代や若い人が旅立ってしまうのは、きついな。
 そうそう、choriって名前の由来が、なんか、すっごくツボにはまって好きだったよ。