川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

海の底

 ドラマがね、重かったわ。NHK「海底の君」。
 と言うことで、ちょっと私的な、海の底の話。ここに書く事か?と思いつつ、ちょっと自分の中を整理したいので。

 私は基本、女子からで、ドラマのような暴力的なのは無かったけれど、ちまちまねちねちと精神的にめんどくさくなるタイプのだったよな。あ、男子は暴力振るって来るな、と言う恐怖感があって(男子でやられている子はひどかったし、だから、避けていた。)
 この性格だからなのか、あれがあったからこういう性格なのか。ニワトリと卵、どっちが先かなんて判らない。ただ、いまだに他人との付き合い方、距離感が判らずとまどう事はある。言いたい言葉が出て来なくなったり、些細な言葉で頭が真っ白になることがある。
 多分、日常が不自由な分、妄想の世界を膨らませていて、それを受け入れてくれる面白がってくれる世界が、舞台だったり言葉の世界だったりしたんだろうなと自己分析。今もこの世界にいるのは、もう、それだけが理由ではないけれど。
 やった側は覚えていない。
 うん。でも、そうとも限らない。
 
 私は中学受験することで、逃げた。で、大学生になった時、クラス会に出た。その時、「なぁ、いじめの事とか、もう、気にしてないやんなぁ」と、こっそり聞いてきた子がいた。その時、なんか、ほっとしたんだな。ああそうか、彼女はずっと気にしていたんだ。覚えていたからこそ聞いてきた。無かった事、思い出のひとつにするのではなく。
 いじめる側といじめられる側はくっきり分かれているわけでは無い。いじめる側に入っているけどその中でいじめられるポジションとかね。
 ほっとして、もういいか……とまではならないけど。
 あ、もう、個人的に誰かをどうとかと言う思いは無い。無いけれど、それと、無かった事にするのは違う。良くも悪くも、今の私を形成している一部。ああいうことが無ければ、もう少し、生きやすかったのかな、と言う思いはどうしても残る。

 そうだな、当時の担任は、どう思っているのかなぁと言うのは気になる。年賀状のやりとりはしてるし、前にお茶祭りも観に来てくれたし、でも、当時の事に関してはクラス会でも話はしなかった。新任で持ったクラス、大変だったろう。恨むつもりもないけれど、今も教育者で、校長にまでなっている担任が当時のことをどう思っているのか、と言うのがね、やはり、気になるわけだ。
 高校講師、学童保育指導員、表現教育。結局、子どもに関わる事をしているのはあの頃の自分をなんとかしてやりたいわけだし、先生の大変さも判るわけで……。

 お茶祭り企画の語り芝居で『よだかの星』をやった時、美しいお星さまになったヨダカを見上げて終わりにしなかったのは、あの経験があったから。あの物語の結末は、決して美しくないと思うから。あの物語に出会って、あの結末を選んで欲しくないからだ。

 あ〜、やっぱり、見て良かったのか悪かったのか。ちょっと、頭の中がとっ散らかってますわ。