川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

どこに向かうのか

 先日の新年会で、色々刺激を受け、色々考えたのであった。
考えてみたら、スナさんとゆっくり話すのも初めてだったのではないだろうか?前は、コトバノイベントの打ち合わせと当日だったので、その絡みの話が中心やったし。

 むーさんの考える目標とは?と問われる。

 確かに、道ですれ違った人に「あ、あの人」と言われるのは役者としては嬉しいこと。20代の頃には憧れたな。でも、今、直接お客様と向かい合う空間にこだわっている身には、ちょっと現実感が無い。

「お茶祭りの芝居が観たい」「川島むーにやって欲しい」と望まれる事。とっさに答えていたけれど、うん、今はこれだな。

 スナさんの、面白そうと思ったところへ飛び込んでいくフットワークの良さには、いつも感心いや感動してしまう。で、そこに調子良く乗っからせてもらってる私は、何ができるのかな。

「こういう場で、ちゃんと自分のやってることを示さないと。みんなシャイすぎる。」

 と言う言葉にそそのかされる。芝居の場合示すのが難しいところがあるが、マイムや詩は、可能。泡盛の勢いも借りて、詩を一つ読む。
 AWCやコトバノイベントで最後に読ませてもらった「出会い」。いつもの一人芝居系の詩、とは少し異なるもの。私の作品の中では、いわゆる詩らしい詩と言えるもの、かな。

 お着物の方や書の方が居ることで、最近考えていた日本の詩文化についての思いをスナさんに口走る。

 「ポエトリーリーディング」とか「スポークンワーズスラム」「ラップ」と言う言葉への違和感。私にとっての詩を読むと言う行為が、そう言う外国言葉とちょっと異なる気がするのだ。多分、私の中にあるのは「歌垣」「歌合せ」「万葉歌人」の世界。素直な思いを素直に伝える。言葉を音にして詠んで楽しむ世界。日本人が持っている朗詠文化

 まぁ、私の作品自体は万葉とは全く違うけれど。あ、大学の入学式での記念講演は、犬養先生だったな。