川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

明日は丸かぶり


 ご近所の、愛らしいザクロ。

 さて、明日は節分です。今年も巻き寿司こさえて丸かぶりの予定。学童行くまでに、具を仕込んでおかないとなぁ。
 ある地域の風習が伝播していく。と言うのはままある事なのだろうけれど、これに関しては、やはり、「恵方巻き」と名付けた某コンビニの商業戦略と、それに次々とのっかて行く業界の戦略とが見え見えで、巷の喧騒にはいささか興醒めますが。(……20年前の東京暮らしの時には、「は?なにそれ?」でしたよ……)なんか、無理やり感を感じてしまうのです。

 とは言え、なんでこんなに流行ったかと言うことを考えると、この、お行儀の悪さにあるのかなぁと思います。
 「祭り」と言うものの要素に価値の転倒と言うのがあるのです。日常からの逸脱と言うと判りやすいか。
 そういう意味では、まさに「祭り」として必要なものを持っている風習。だから、人が飛びつくのかなと。家庭で豆まきがしにくくなった昨今(集合住宅とか、夜に大声で鬼は〜外!ってやりにくい)、家の中で出来る、日常からの逸脱、やってみたかったお行儀の悪い食べ方が許される。そりゃあ魅力的ですわな。

 例えばハロウィーン。実は日本にも「節分お化け」と言うのがあったのです。子供がお菓子を貰うのも、「お月見どろぼう」に通じる訳で、どこかで、日本人の中に、ああいうお祭り・風習を求める感覚があったのかな、と。だから、あんなにハロウィーンが流行るのかな、と思っています。

 大阪でも、この丸かぶりの風習については諸説あります。起源について諸説ある上に、大正だか昭和の初めごろだかに「節分には巻き寿司を」と宣伝していたのがいったんすたれ、現在の丸かぶりの流れは昭和40年代、海苔屋さんとお寿司屋さんの組合がキャンペーンをやって、丸かぶり寿司の早食い大会なんかを仕掛けて定着していったと言う流れ。
 これを、ただの商業主義、伝統でもなんでもないと言ってしまうのは簡単だが、世の伝統と呼ばれるものだって、きっかけは「え?それ?」なものだってあるだろうし、この風習だって、百年続いたら、もう、伝統って言えてしまえるんじゃないか、と思うのです。まだ風習と言う段階でもないと言うご意見もありましょうが……。

 って事で、あと50年もすれば、民俗学者さんが論文を書けますな。

 ちなみに、とってもエロい起源だからダメ、と言う人は、「ティラミス」もダメですね。「ずいずいずっころばし」なんて遊びもダメですね。

 さて、巻き簾を出しておかないと。干し椎茸は戻しに入ってるし。うん、ぬかりなく、準備進行中。って、明日の学童でも豆まきするんだろうなぁ。誰が鬼をやるんだ?念のために、赤のトレーナーを着て行くか。
 でもって、おやつは巻き寿司の可能性が高い。ふっ、巻き寿司な一日だぜ。