川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

前田藤四郎展

 昨日は、大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室に「前田藤四郎展 版に刻まれた昭和モダニズム」、最終日滑り込みで見てきた。
 本当は、近代つながりで、先日の公演前に行こうと思っていたのだ。いや、行ったのだ。うっかりしていた、水曜日。お休みでした。がっくり。
 ということで、このまま見逃してなるものかと出かけたのである。
 いやぁ、行ってよかった。最初に展示されていた彼の蔵書でまずやられた。あの、クラシック・ルネサンス公演で使った村山知義氏の名が。2冊のうち一冊は村山氏訳。もう一冊は村山氏から贈られたというもの。こういうつながり方、どきどきするなぁ。

 作品自体がワクワクした。その時その時、自分が面白いと思うことを次々試みているのだな。時代ごとの変遷、でも、その根底にあるものは変わらない、と感じた。目の前にあるものへのあくなき興味、しゃれっ気。興味を持っている視点に共感できるものが多くて嬉しくなる。「そうそう、これ、面白いですよね。」御本人がいたら、そう話しかけたくなる。
 展示は時代順。最近の作品を見て、あ、となる。(亡くなられたのは平成になってから。)何だ、知ってるよ、見てるよ、この人の作品。そっかぁ。妙に納得。

 変わることを恐れないって、大事なことだと思う。表現する、ということに関っていると、時々ものすごく理論武装した人に出会う。でも、なんか息苦しいなと思ってしまう。理論ではなく理屈じゃないかと感じる。人の心を動かす表現と言う場にありながら、自分は影響を受けたくない、変わらないんだ、と言う態度はとてもかたくなで、時に傲慢に思えてしまうのだ。自分を守りたい、と思うのは人の性だと思うけど、実は、そんなに必死にならなくても、自分は自分。そう簡単にぶれるもんじゃない。その出し方、表現の仕方は、節操無く変わっていったってかまわないじゃないか。

 そんなことを考えていたところだったので、なんだか、とてもいいタイミングの展示であった。うむ、収穫。久しぶりに図録購入。あ〜、また増やしてしまった。どこに置くんだよ。いや、もう、懐は寒いし…。来月は「イッセー尾形の作り方」ワークショップだよ。どうするの。春からのバイトが、…無いっ、まずいなぁ。っていうか、秋以降の公演バタバタで全く稼いでいないのだな。出て行くばっかりで。アトピーも不穏な気配がしているし…。

 いかんいかん、せっかくいい物を見てきたのに、な〜にをつまらないこと(いや、痛い現実だけど)を言ってるんだ。何とかなるさ、うん。きっと、大丈夫。