川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

生きる力

「いつも涙で生きてるほど 弱くもないし 強くもないの」

 スプーンおばさんの主題歌のこのフレーズが好き。


 いじめてくれたあいつらを見返してやる、と必死になっていた時期がある。それは、とても後ろ向きな努力で、肩に力が入り、視野狭窄となる。実は自分がのびのびと楽に生きることが大事なんだ、と気がついたのは、いつだったろう。

 中学は、地元の学校には行かなかった。「逃げた」と言う思い、戦えなかった自分へのふがいなさに悩んだ時期もあった。
「気にしてへんよね?」
 ある日、再会した友がそっと聞いてきた。あぁ、気にしてたんや。そう思ったら、もう、いいやと思えた。相手も、自分も、許してやろうと。
 それでも、人の輪に入っていくのに二の足を踏んでしまう時、あの時の経験がなければ、こんなに他人の顔色を窺う事も無かったのに、と思う。いや、もともとあった性格で、それ故からかいやすく、対象になってしまったのだろうけれど。あの時、戦っていれば、この性格も少しはマシになっていたのかな。でも、今なら、それも私だと言える。


「お母さんも、なんにもしてあげられへんかったからね。」
 
 親にはね、言えないんだよね。子供なりにプライドもある。認めたくない。それで解決するはずが無いことも良く知っている。(告げ口は、子供の世界では、絶対タブーである。)まして、先生には解決できないよ。表面的にしかね。これは、学校に絶望していると言うことではなく、そう言うものだと思っているということ。先生のとりなしで泣きながら握手したって、一週間後には再開。お互いにそれが分かっていながら、それでも盛り上がって、ドラマチックに仲直りしているのが可笑しかった。うん、でも、この経験も大事。無理だからやらないではなく、無理でもやって下さい、と先生には言いたい。
 「二十四の瞳」の大石先生は、子供が十二人だったから良かったんだよな。今の学校に大石先生を求めるのは酷と言うものだ。 

 今にして思うのだが、うちは大人中心の家族だった。子供だから、と制約されることが、ずいぶん多かった。垣間見る大人の世界は、とても素敵で楽しそうだった。カッコよかった。早く大人になりたいと思えた。いじめなんて、ガキのすること。どこかでそんな風にも思えたのだ。カッコいい大人への憧れが、私を生きる世界にとどめたのではないかと。
 単純に、怖かった、痛かったってのもありますが…

「だから、なにもしてくれてなかった訳や無いよ。」

 そんな話を、母と交わした。こんな話を、こだわりなく母と出来る様になったんだなぁ。しみじみするひと時であった。


 う〜ん、何が言いたいのかな。最近のニュースにあれこれ考えたこと、どこかでまとめておかないと、と思ったんだが。

 大人が子供に与えてやらなきゃいけないのは、想像力、俯瞰する力、視界を広げる力、遠くを見る力、楽しむ心。

 そういう意味で、演劇教育って必要だよなぁ、と思う。お勉強にしてしまうとまずいけど・・・。