川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

歌垣に思う

 歌垣と言う言葉が一般的ではないと言うことを知った月曜の夜。
 ふと思う。
 詩、ポエトリーの世界の人にはどうなのだろう。
 私は、近現代詩についての知識は、多分、足りない。それこそ、日本史や国語でざっと習ったレベル。
 詩ボクきっかけでポエトリーリーディングの世界に入るまで、スラムとかスポークンワーズと言うものも知らなかった。
 私にとって、声に出して詩を詠むと言うのは、日本に古くからある歌垣や、朗誦文化であり、本来の形と言う意識がある。
 スラムは知ってるのに、歌垣は知らないと言われたら、ちと悲しい。
 詩を声に出すことは、海外でやってるけど日本人には馴染みがない、苦手なジャンル、とは思わない。伝統的、と言う意味で言うなら、日本語は伝統的に声に出す文化。声に出す、音を楽しむ文化を取り戻したい、と言う思いがある。
 それは、聴く文化でもある。虫の声を聴き、香りを聞くと言う感覚。聴く聞く効く利く、語源は通じ合ってているのではないかと言う気がする。
 だから、詩とはこうあるべき、リーディングとはこう、みたいな話を聞くと、微妙に違和感を感じ、居心地が悪くなる事がある。日本の言葉の世界って、もっと自由で懐が深いと思うんだけどな。