川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

ゴーシュ論

 梅津時比古「≪ゴーシュ≫という名前 〜セロ弾きのゴーシュ論〜」読了。

 図書館から督促状が来てしまいました。すみません。東京公演の最中で、図書館に寄る余裕なく、やっと返却いたしました。

 いやしかし、面白かった。ゴーシュと言う名前が、古いドイツ語のカッコウから来ているのではないか、と言うところから始まり、宮沢賢治の蔵書からドイツの詩人ホルツの影響を見ていく。
 宮沢賢治の文体だけでなく、思想的にも、大いに影響を与えているのではないか。そこから、改めてゴーシュの物語を読み解いていく。

 ん〜、これ、返却したけど、手元にあった方が良いか?いや、まず、先行の「≪セロ弾きのゴーシュ≫の音楽論」を読むか。
 ホルツの詩も読んでみたい。ほんと、これ、影響を与えているとしか思えない。
 秒刻体によるカメラ・集音マイク的手法・擬音語、擬態語の多用、方言の導入、書体のデザイン的用法……
 ホルツのdudel/didel/didel/dudel/dudel/didel/di!とか、もう、それ、賢治のdah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dahをすぐに思い出すよ。しかも、賢治はこれ、最初はドイツ語表記が念頭にあったらしいし。
 銀河鉄道と言う言葉の発想のもとも、ホルツにあるのでは、と言うのも興味深し。

 ゴーシュに関しては、私には私の、あの物語の読み解き方があり、それとは異なる部分はあっても、それも納得出来る面白さ。

 ゴーシュは、最後まで彼が手元におき、手を入れていた物語。今回の公演で「あ、そういうことか」と気付いた部分がある。10年やってても、まだ、発見がある。この梅津氏の本でつかんだ手触り。もう一度自分の中に落とし込む。大阪公演までに、まだ、やるべきことが、ある。

「永遠の未完成、これ完成なり」

 宮沢賢治の言葉は、ありがたくも、厳しい。どこまでいっても、これで良しとはならない。探求、探究。