川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

未知なる言語

ochamatsuri2008-02-26

 テレビから聞こえてきた「原哲夫さんが・・・」と言う声に「誰がカバやねん」と言っていた私。

 ・・・あ〜、「北斗の拳」の話でしたか。あたたたたたたたた・・・


 先日受けてきたフォーラムシアターのワークショップ、講師はデンマークの方だったわけで、当然「デンマーク語」。
 英語、中国語、イタリア語、フランス語、韓国語。この辺りは、暮らしの中で接する、耳にする機会がある。言っている事が判らなかったとしても、何となく耳は音を拾える。知っている単語があったりする。

 でも、デンマーク語?

 みんぱくでは資料のお守りだったので、言語を耳にする機会は、あまりなかったなぁ。研究者の方は英語が出来るし。あ、だから、かなり訛りのきつい英語はあったみたいだけれど。電話を受けて、「英語やのに判らん・・・」ってなってる人がいたっけ。
 
 と言うことで、まったく耳馴染みのない言語をず〜っと聞いていると言うのは、なかなか面白かったのである。通訳が入るまでの間、こちらを向いてしゃべってらっしゃる口元をじっと見ながら、じっと耳を傾ける。これっぽっちも判りません。でも、何か、強い思いがあることは感じる。だから、目が離せないのだ。

 当たり前のことだけれど、彼はそうやってしゃべるのが当たり前。その言語で思考し、話す。語順だとか文法だとかは考えていない。ずっとそうやって生きてきた人。彼がしているのは、私が一度もしたことのない口の動き。
 その言語からくる音を発する喉、声帯の働き方も違うだろう。思考の仕方も違うだろう。言語が違うと言うことは、ただそこに聞こえてくるものが違うと言うことだけではないのだよなぁ。


 ちなみに、講師のお名前はアンセンさんと紹介されたけれど、要するに、アンデルセンさん。
 デンマークでは、アンデルセン童話作家ではなく、詩人である、と仰ってたなぁ。で、ちょいと気になって検索。

 そっか『即興詩人』の中にイタリアはカプリ島の青の洞窟が出てくるんだ。へぇ。森鷗外の訳では「琅玕洞」(ろうかんどう、琅玕=翡翠)となっているのか。訪れたのは随分前やけど、ここは、ほんまに綺麗やったなぁ。琅玕洞ねぇ。

 この時代の言葉に携わる人達の言語センスはすごいなと思う。他国語と自国語、話し言葉と書き言葉、言語に関わる価値観やら考え方やらが、大きな波にもまれた時代。どれほどの思いで向かっていったのだろう。


 フォーラムシアターの勉強だけでなく、言葉と言うものに思いをいたしたワークショップは、ひと粒で二度美味しかったのでありました。