子供たちを連れて公園から戻る。ふと振り返ると、夕空に白いお月様。
そしてお仕事終了、暗くなってくる空に、真ん丸なお月様がどんどんくっきり輝きだす。
その横に、ぽっちりと、輝く星ひとつ。
そうだ、火星最接近だった。
月と火のコラボ。
惑う星と書いて惑星。遥か遥か遠い星を思えばなんとも近くに居る火星。もっと近ければ、もっと大きく見える位置にあれば、星とは別の呼ばれ方をしたのかな。月が星とは呼ばれないように。
惑星と恒星、違うのに同じように見える不思議。太陽と月がほぼ同じ大きさに見えるのも不思議。
世界中の人が天文学を学べばいい。そうしたら戦争なんてアホらしくなる。そんな夢みたいなことを考えてしまう。現実は、貧富の差、資源の差、神様の違い、理想とする形の違い、……。
宮沢賢治『土神と狐』で、狐と樺の木(女)は星空のもとでこんな会話をしている。
「蝎ぼしが向ふを這はってゐますね。あの赤い大きなやつを昔は支那では火と云ったんですよ。」
「火星とはちがふんでせうか。」
「火星とはちがひますよ。火星は惑星ですね、ところがあいつは立派な恒星なんです。」
「惑星、恒星ってどういふんですの。」
「惑星といふのはですね、自分で光らないやつです。つまりほかから光を受けてやっと光るやうに見えるんです。恒星の方は自分で光るやつなんです。お日さまなんかは勿論もちろん恒星ですね。あんなに大きくてまぶしいんですがもし途方もない遠くから見たらやっぱり小さな星に見えるんでせうね。」
「まあ、お日さまも星のうちだったんですわね。さうして見ると空にはずゐぶん沢山のお日さまが、あら、お星さまが、あらやっぱり変だわ、お日さまがあるんですね。」
ほほえましいカップルの会話。でも、やがて悲劇に向かっていく。天文学を愛した狐は、それでも、見栄や嫉妬からは逃れられなかった。
おっと、思考はどこへ向かう。
口直し、いやさ気持ち直しにベランダへ。もう一度、思考を空にして、ただ、見つめる。月と火と、空。
さ〜て、荷造り荷造り〜。