あの日から、我が家の炊飯器は休眠。鍋炊きご飯が、すっかり定着。
今日は学童。14時に出勤。正規の指導員さんから
「今日のおやつはお好み焼きだから、よろしく〜」
はい。でも、なんで?
「あの日のおやつがお好み焼きだったからね」
なるほど。
4年前、私は稽古日。学童の勤務は入っていなかった。稽古は中止、相方は帰って来られない。学童はどうなった?色んな事がぐるぐるした日。
4年前の写真。
・停電で、明かりの消えた街。
・翌日に帰って来た相方が背負っていた防災袋(会社で一人に一つ支給されている)の中身。
・5日後のドラッグストアの貼り紙。計画停電でスーパーは5時閉店だった。
よく見ると、よく見るとガスボンぺ。……ぺ?店員さんがあたふたしていた状況が目に浮かびます。
今、低学年の子は、既に震災の記憶が殆ど無い。どうやって伝えて行けばよいのかは、切実な問題。
「あ〜、時間過ぎてる」
と言う声に時計を見る。あ、14時46分を過ぎてる。黙祷しようねと言いながらおやつの準備などをしていたのに。今からでも、しましょ。
二人で、黙祷。
居合わせた5年生が、
「い〜ち、に〜い、さ〜ん……」
いや、あの、声に出して時間を数えないで下さい。黙祷になりません。まったくもぉ。
でも、そんな子供たちの存在が、確かに、あれからの不安定な日々を支えてくれていたんだなぁ、と思う。