川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

芝居屋として

 公演をどうするのか、と言う話がある。

 阪神淡路の時との違いは、やはり、範囲が広いと言うことが大きい。あの時は、大阪が基本的には無事だった(被害が無かった訳ではない)。だから、被災した演劇人が公演をする。あるいは被災した人が観劇をすると言うことが出来た。
 今回は・・・直接の被害を受けていなくても、日々続く余震、輪番停電、・・・首都(23区内の大半)は停電からはずされているが、それは首都機能を守るためで、その分、節電が求められている。公演自体が電気を使うと言うことだけではない。稽古場として多くの人が使う公共施設は、節電のため夜間の使用中止が相次いでいる。また、上演にこぎつけたとして、お客様の安全面は?と言う大きな問題がある。原発の問題も現在進行中である。

 演劇ではないが、この連休に千葉で出る予定だったイベントは延期になった。月末のまるるー君の出番があるはずだった表彰式も無くなった(遠方から東京へ、子供達を招待しての式だから、ね)。

 やる、やらない。どちらが正解とは誰にも言えない。あるのは、自分がどうするかと言う答えだけ。今、曲がりなりにも演劇に携わるものとして、どう考え、何をするべきなのか。

 私が自分の公演に対して名乗るお茶祭り企画と言う名称の「祭り」。それは、私の芝居への思い。お祭りと言うのは、人が神様を演じ、人々がそれを神様と認め、神聖な場でともに楽しむもの。演じることの出発は祭りにある。
 つまりは、演劇は、役者と客と場があって成り立つもの。
 その、場が、お客さんを安心して受け入れられる状況で無いなら、それはやはり、難しいのだと思う。

 だから・・・
 私個人の考えでは、公演は、まだ早い。まだ、この震災は現在進行形。やる側の充実感よりも、優先されるべきは、観る側の事。
 例えば、テレビは、ぼちぼちと震災以外の事を流す局も出ている。でも、それは、個人の場で見られるものだからこそ、なのだと思う(ラジオも同じ)。家の中で、毎日辛いニュースを見るだけでなく、ほんのひと時、目を逸らせて笑ったりする、そんな時間は必要。でも、わざわざ劇場まで足を運んで、となると・・・。他人も一緒の場で、共に楽しむ事が出来る状況だろうかと考えると、今は、まだ早いと思ってしまう。近い所での娯楽から始まって、少しずつ、なのだと思う。

 個人的な話だが、阪神淡路は間近で見ている。あの時のやりきれなさ。馴染んだもの、愛着のある物が失われていく虚しさ。緊張状態の後の、ぽっかりと穴が空いた感覚。すべてが夢であって欲しい。何も無かった前日までの呑気な日々を思い出すたびに、頭の中がひっくり返るような感覚。直接の被害を受けていなくても、そんな状態。
 そこからようやく、立ち直るのに、どれくらい掛かったろう。その思いをようやく形にしたのが、昨年、あの日から15年の日に詠んだ詩。今年も1月に詠ませてもらった。でも、今、あの詩は詠めない。あれは、立ち上がって行く思いを書いたもの。まだ、状況はそこまで行って無いのだ。何もかも、これから、なのだ。

 芝居をやるなら、まだもう少し先。直接の被災地の方々が、それでも、立ち上がろうと言う時期になってからだと思う。そして、その時、何をするか。もちろん、公演をきっちりやる事。
 そして、もうひとつ。
 阪神淡路の時は、音楽や落語や美術の方がフットワークが良かったと思う。避難所などでの活動を横目に、演劇人は、動けないなぁと正直、思った(ワークショップをやっていた劇団もあったようだが)。多分、今、一人芝居をしていること、ワークショップに関わって居ること、子供に関わることをしていること、その根っこにはあの時の思いがある。


 ・・・うまく文章がまとまらない、と四苦八苦しているうちに、4月に出演予定だった公演の主宰者からメールが来た。公演中止。悩んで悩んで、決断されたことが判る。どれ程、苦しかったろう。その決断を静かに受け止めようと思う。


 さて、私は。と改めて考える。
 いつか、この公演をもう一度試みましょうと言う事になった時のための心構えをしておこう。こう言うところは、しつこい性質。私の中に、確かにあの役が生まれている。それを消す事は出来ないもの。
 そして、もう一つ大切なこと。役者として、表現教育指導者として、出来る事を考える。自分の軸を生かして出来ることは無いのか。被災地だけではない、直接の大きな被害を受けた訳ではなくても、この非日常にストレスを抱えている人はたくさん居る。16年前に心に抱いた思い。あの時の口惜しさ、歯痒さを忘れては居ない。今、すぐ、と言うことだけでなく、この先にやるべき事を考えよう。これからの、長い長い立ち直っていく日々のために。自分自身の力が、問われている、と思う。