川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

騙る

 語るは騙る、なのだと思う。
 だから、あれはあくまで、私の「よだかの星」であり「セロ弾きのゴーシュ」なのだと思う。特に賢治は、「永遠の未完成これ完成」の人、偉大なるアマチュア。もう、解釈はなんぼでも出来てしまう。

 よだかに関して言えば、いじめられた経験のある私には恐怖の物語であったし、絵本などで最後に美しい夜空を描き、空を見上げて綺麗な涙を流すような描き方に違和感があって、私には地に落ちたよだかの哀れな姿しか見えなくて。
 正しい?賢治解釈なら、仏教的な解脱なのだろうけれど、どうしても、そうは読めなくて、私は。
 よだかがカワセミの所を去るとき、カワセミの姿を入れたのも、だから、敢えて。残された者の痛み。その痛みも、私の中の確かな記憶。

 ゴーシュは、それこそ色んな解釈がある。私は、どう読んでも、ゴーシュのセロで病気が治ると言うネズミの言葉が信じられなくて。で、賢治の構想メモにヒントを得て……と、この解釈、他にもしてる人、いたよな。多分、この部分は東京公演を経て、大阪公演ではより強調したのだが、まぁ、それでも違う受けとめ方をされたりもする訳で、だから人は面白いと思う。
 そう言う意味ではね、この公演を見た人に、これをきっかけに自分でも賢治作品を読んでみて貰いたいなぁと。あれ?印象が違う?と思うかもしれない。それも面白いと思うのです。

 でもね、私、基本的に文章はいじってないのですよ。唯一、いじったのは、よだかのラストをリフレインしたこと。