あの日から、22年になる。
関西に戻ったんやなぁとを感じるのは、新聞やニュースでの取り上げ方の違い。全国的に報道はされているだろうけれど、取り上げている尺や厚みが違う。
時々、いつまで言っているんだと言う人がいる。
でも、大正12年の関東大震災の起こった9月1日は、防災の日として、毎年、ニュースなどで取り上げられているではないかと思う(まぁ、震災の日と言うことは忘れられがちだが)。
1月17日も、ただあの日を悼み哀しむ日だけではなくなっていると思う。
都市直下型地震の怖さを伝え、災害への備えと対処を見直す日。まだまだ、あの日の、あれからの日々から考えることがたくさんある。
そう言う意味で、やはり、この日を取り上げる、まだ何年と言う必要がある。役割を持った日なのだと思う。
で、横浜に住んでいて感じたのは、首都圏の人の危機感が薄れてないだろうかと言うこと。
東日本大震災は経験しているけれど、直下型は経験していないことを忘れないで、と思う。揺れ方も、首都圏で直下の場合に起こることも、東日本大震災とは違うのだと言うこと。
どこか落ち着かない気持ちになり、ざわざわしながら過ごす日。
さて、長期保存食の期限チェックチェック。ビスコ缶、そろそろ入れ替えだな。
毎年のことだけれど、この詩を。先日の寝太郎君オープンマイクでも詠ませていただきました。1月に詠むことにしている詩。機会があったことに、感謝。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「 センチメンタル じゃあに〜 」
1948年、戦後復興期に
北陸を襲った大地の揺れを知る人は、少ない
その日 (1948年6月28日)
ある家では、長男が帰ってこなかった
死者・行方不明者3769名の一人
終戦で拾った命、わずか3年
もしも長男が戻っていたら
次男が家を継ぐことは無かったろう
その妻が雪深い地で暮らす事も無かったろう
その息子はどこで生まれどんな風に育ったろう
それは、私の夫となった人の家族の物語
ある日、舅に似た老人がふいに訪(おとな)う、それは夢物語
忘れない
1月17日と言う日
あの朝を
忘れない
遠く地の底から、何者かがせり上がり迫ってくる気配
地鳴り、地響き
カタカタと言う音
ずん!
突き上げられ
揺すられ、揺すぶられ
動けない
壁が柱が本棚が、きしむ、音
暗闇の中、「止まって止まって」、心の中で叫び続けた
忘れない
役立たずの私の備え
転がって、手が届かなかった懐中電灯
忘れない
冷静だった父母の身の処し方
忘れない
公衆電話に並んだ近所の人たち
震えていたのは寒さの所為だけじゃない
忘れない
母の故郷、東灘
無事だった、伯父一家の家
倒壊したお隣さん
焼け野原の商店街
いとこと遊んだ公園に並ぶ、仮設住宅
忘れない
妹が通う大学の街
「999の駅みたいで格好ええやろ」
建築科で学ぶ妹のお気に入りだった駅舎
忘れない
「2月は、南京町の春節祭行こな」
実行できなかったデートプラン
忘れない
やっと電話が通じたお調子者のあいつの、震える声
「今行ったる!」口走っとったら
焼けぼっくいになっとったかな?
忘れない
非常勤勤務先の高校
私を囲み喋り続けた生徒達
包帯を示しながら、それでも笑いを交える
あっぱれ関西人のやんちゃくれ
みんなで笑うたなぁ、
・・・徹マンしとったって、呑気な3年生やなぁ・・・
忘れない
枕元で砕けたガラス細工
神戸元町のガラス屋さん
出かけるたびに買うとった
忘れない
風景が、
壊れると言うこと
あの日、何かが少し違っていたら
いとこが寝る場所を変えていなかったら
倒れていた箪笥
時間が出勤時だったら
通り一面のガラス片
図面書きの仕事中だったら
作業机に落下していた図面引き出し
・・・直撃ですがな
恋人の伊丹出張が続いていたら
ひしゃげた駅舎
妹が大学に行ってる時間だったら
友達の下宿に遊びに行っていたら
身近に死んだ人がおらんかったんは
ほんの偶然
慰霊碑に刻まれた名前に涙しとったのは私かもしれん
刻まれたんが私やったかもしれん
知っている
あの日をきっかけに人生をかえた人を
しまっていた夢に光を当て
我から厳しい道に踏み出した人を
私?
問われれば、私もやっぱり、この日があるから
時に決意が鈍り、甘え、だらしない日々が続いても
嫌でも毎年やって来る、この日
突きつける
ちゃんとやっとるか?悔いは無いか?
一年でたった一日
心の中であの日を、あれからの日々を、辿る
センチメンタル・ジャーニー
年がら年中センチメンタル、じゃあないの
たった一日、大切に、もの思い過ごす日
進むために振り返り、足元を見つめ大地を見つめ、立つ
立ち位置を確かめる
この日、私はゆるんだタガを締めなおす
そうして明日がやってくる
人々が、それでも新たな日を迎え
前に向かって進みだした日々に
私も顔を上げて
センチメンタルな気分に、じゃあね!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
22年前、寝る準備をしていた私。加湿のため、使わなくなったお鍋にお湯を入れ、保温プレートの上に乗せていたのだが、古いお鍋の底はちょっとでこぼこ安定が悪い。
その日、その鍋がしつこくかたかたと揺れてなかなか止まらなかったのは、偶然だっただろうか。
春から東京に役者修業に行くぞと決めていて、だから、NODA・MAPの公演のチケットは、東京公演のものを取ろうとしていた。優先予約の受付が始まる直前だったから、さてどこの公衆電話を使おうか、などと考えていたかな。
そうして、おやすみなさいと電気を消して。数時間後に起こることなど、これっぽっちも想像していなかった。
非常勤講師をしていた府立高校の日本史の授業で、「歴史から考えて、いずれ関西でも大きな地震は起こるよ」と言いつつ、実はなんの心構えも出来ていなかったことを、後悔し、子供たちの前で涙ぐんでしまうことになるなんて、思いもしなかった。