土曜日の実家で、母に先日のワークショップの話をする。
こういう話を出来るようになったことにしみじみする。学生時代は、家で芝居の話はほとんど聞いてもらえなかった。学生のお遊び、と言う範疇で捉えられていた上、姉貴はオペラ歌手。常に、アマチュアとプロという位置づけ。そのコンプレックスが私を奮起させたといってもよいのだが…。
その後、私の就職、東京役者修行、アトピー悪化、入院、舞台復帰、結婚、詩のボクシング、お茶祭り企画旗揚げ。紆余曲折。
気が付けば、父も母も私が芝居をしていることを受け入れるようになっていた。小劇場の客席は体に負担が大きいと言っていたのにお茶祭りは見に来てくれる、ご祝儀も入れてくれる。挙句に、去年の公演では実家を稽古場にさせてくれた。変われば変わるもの。家で芝居の話を当たり前のように出来る喜び。
で、ワークショップの話。森田さんに指摘されたこと、自分でも駄目駄目だったなぁと思うことなどをしゃべりまくる。
「そうね、あんたの芝居は余裕がなくて(一生懸命すぎて)しんどくなる時があるから。」
さっくりと言われてしまった。しっかり見ているわけだ。よく分かってらっしゃる。
認めてもらいたいと言う思いと自信の無さが、とにかく一生懸命やると言う方向になってしまっていた。それが拙いのだ、といことに気付いたのが遅かったので、今でも苦労する。ある状況下ではうまく力を抜くことが出来ない。やれやれ。どうすればいいかと言えば、結局その状況に向かうことしかないんだよな。ということで、夏には大阪でワークショップがあるそうだから、また受けに行くのだ、と言う決意を語ってみたりする。
少し前に、偶然手にした漫画の中見つけた言葉が気に入っている。
「才能とは、続けること、あきらめの悪さである。逃げ足の遅い馬鹿は、その道で続けるしかないのだ」
下手の横好き?上等じゃないか。
継続は、力なり、である。
好きこそ物の上手なれ、である。
あほの一つ覚え、その通り!
追記:
結局のところ、あきらめが悪いと思っているんじゃないのかなぁ。
作戦失敗と思っているかも。子供の頃から反対されると素直に従うことが多かったから、それを期待していたと思う。ところが、こと芝居に限っては、反対されるほどにそっちに向かってしまったのね。
あと、結婚して独立したというのは大きいかもしれない。おまけに、相方と一緒にやってるんじゃ、反対のしようがないわね。