川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

書いた。でも、長いなぁ。暗いなぁ。

 ここしばらく、書こうかどうしようかと思いながら…なんでこんな時間の無い時に書いてるんだ?仕事せい仕事、と思いつつ。
 
 長いです。しかも、書きだすと、ちょっと恨み節っぽいところもあるなぁ。もんのすごく暗い子供時代みたいじゃないか。いや、そうでもないのよ。私なりにちゃんと楽しく生きてましたよ。だからここに居るんですよ。でも、こういう時期もあった。ってこと。遠い思い出、と言えるくらいにはなっているの。
 だから、敢えて、書いてみました。あえて推敲してないから、文章がとっ散らかってますがね。




 暴力を伴ういじめは、傷害罪で訴えることが出来るけど、精神的なものは、訴えようがないよなぁ。考えすぎ、気にし過ぎ、被害妄想と言われ兼ねない。

 正直、いじめを無くそう!などと言う言葉はむなしく聞こえる事がある。無くなりはしない。そんな魔法は存在しない。ここ最近のいじめ関連のニュースのきっかけになった事件を見たって、ネット上での、そのいじめた側に対するコメントとか見ると、怖くって。自分が正義、と言う立場に立っての言葉の集団リンチ(あ、言葉だけじゃないね。実名や写真を出すという行動も伴ってる)。それ、まさに、いじめる側がやってるのと同じ。
 「あなたのためを思って言ってあげてるの」「あなたが悪いんでしょ」
 うん。まさに、言われた。
 あの事件の中学生を責めるぐらいなら、振り返って、自分が10代の頃に誰かをいじめていなかったか、傍観していなかったか、考えてみてよ、と言いたくなる。そんな覚えは何もない、と言い切れるほどお花畑な子供時代だったのか?それは、それこそまさに、気付いていない、だけではないのか?

 いじめなんてしたことが無い、などと、私は絶対言えない。私の身近な人に嫌なことをしてくる子(違う学年)が居て、ずいぶん責めたことがある。あんな風に「正しい立場」からものを言っても、その子には通じなかった。混乱させるだけ。それは、いじめでしかなかったと思う。

 単純に仲間外れ、なら、やったりやられたり。どこかでエスカレートしたことは無かったか?引っ越していったあの子は?

 私が中高一貫の私学に進んだのは、いじめから逃げるため。勉強ができたのを幸い、親が受験の話を持って来たのを幸い、乗っかった。女子校だけは嫌!と言う選択は、女子のいじめが怖いと思っていたから。
 最近、判ったのは、親もただ勉強と言うことだけでなく、そのこともあって、受験を勧めたのだということ。あぁ、そうだったのか。心配してくれていたんだなぁと思う。
 立ち向かう、と言うのも方法だと思うけど、そんな自信はなかった。いじめる側の心理も考え方も判る。自分だってやったことがあるんだから。だから、同じ顔ぶれで中学校に行ったら、新しい友人(違う小学校の子も来るからね)を前に心機一転と思っても、絶対、うまくいかない。だったら、まったく違う世界に行こう。
 この心の動きの、どこが命を絶った子と違うだろうか、と思う。死ぬ気になれば何でも出来る、なんて事は、そこから遠い人の言うこと。私は、ものすごい怖がりだから、高所恐怖症でもあるから、とてもそこには向かえなかった。そこに、受験と言う逃げ道を用意してもらえたから、生きてきた。…まぁ、アトピー劇悪化で、もう一遍、危機はあったけど、ま、それは別の話。

 自ら命を絶つって言うのは、世界への拒絶。ある意味、そうすることで、自分の周りの人間すべてを殺してる。自分の目の前から消してしまう事なのだとも思う。
 子供にとっては、学校が世界のすべて。そこから逃げる方法なんて知らないんだもの。

 あ〜、何が言いたい?恨み言を言いたいんじゃない。あれはあれで、今の私の糧にはなってる。人との付き合い方、距離の取り方がよく判らない、心配性と言う性質が、いじめの所為なのか、この性質だからいじめの対象になりやすかったのかは、鶏と卵。それでも、まぁ、今は楽しく生きてます。時々、自分の性質が面倒くさいけど。たまに「打たれ強い人だから」と勘違いされるけど、違うよ。すんごい打たれ弱いんですよ。ボロボロになります。打たれ強い=打たれても平気などと勘違いするなと言いたくなります。いや、まぁ、これは誰でもそうかな。


 それでも、やっぱり、生きて欲しいと思う。

 「いじめを無くそう!」等と言うめでたいお題目も必要だろうけれど、ちゃんと現実を見てよ、大人。大人たちが毎日子供たちの前で、いじめの光景を見せている。人の言葉尻をとらえ、完膚なきまでに叩きのめす。相手が立ち直ることが出来ないところまで追い込む。同じことを子供はしているだけ。
 大人がちゃんと、引き際を見せていれば、と思う。いじめは無くならないの。起こったいじめを、軽い段階で止める知恵が必要。いじめられた時に、それをかわす知恵も必要。それは、学校だけが世界じゃない。もっと先の広い世界があること、大人の世界には、子供の知らない事がいっぱいあること、それらを見てみたいと強く思わせる事。

 私は、多分、物語の世界に逃げ込んでいた。あと、多分、両親が、子供の入れない大人の世界があることを示してくれていた事は大きかったんだろうな。早く、あそこに加わりたい、と思ってたもの。あ、違うクラスの幼馴染と、同じ学校の子が居ない英語塾の友人の存在は大きかったな。それは、とても幸いなことだったと思う。自分がいじめられない世界がちゃんとある。あそこで、私は自己肯定をしていたんだと思う。
 
 昔はこんなにひどくなかった、という言葉も聞くけど、そうか?それこそ気が付いてないだけじゃないの?あの時の教師の対応は、いまでも疑問が残る。あれで、解決したと思っていたのだろうか。

 今も、卒業アルバム(はっきりと、ある嫌な瞬間が写ってるのが一枚あるんだよなぁ)や卒業文集(周りに合わせて、嘘を書いた部分がある)は見たくもない。でも、捨てる事も出来ないんだよねぇ。間違いなく、それはある時期の私。それは、消せない。


 ん〜、まとまらん。まとまらんけど、いいや、ここで。ここしばらくの報道に触れるたびに、心がうずいて、違和感感じてたので。

 とにかく、ね、いじめを無くそう!とかいじめた子に処罰を!とか、そんな簡単な話じゃないでしょ、と思ってるって事。おしまい!

 働け、私。