川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

だ〜るまさんが

「“だるまの目入れは差別”報道、乙武さんが見解示す 「『気にしすぎ』と言うのはかんたん」」
と言う記事を読んだ。

 だるまの目入れをやめる、と言う話を初めて聞いた時に感じた違和感は、その意味を、ちゃんと考えてやめているのかなぁと言う事。相手の立場を思って、ではなく、「なんか言われるからやめておこう」「あそこもやめてるからうちも」そんな空気を感じたのだな。あ、これは目入れに限らないな。この手の事にしばしば感じる。

 乙武さんは、自分は恵まれている、誰もが自分のように出来る訳では無い。そこをちゃんと判っている。その上での言及していることに、さすがだなぁと思う。

 しかし、私が一番目が行った部分は・・・
>美肌を良しとする風潮を、アトピー患者の方が『偏見を助長する』と主張する。
 
 やりすぎると果てしが無いんですよと言う例の一つなんだが、その例としてこれを出してくるあたり、判ってるなぁ。

 いや、これ、ほんと思う時があるのですよ。「脱毛」もね。ファッション誌とか見ると、私みたいなのは「ありえな〜い」「女じゃない」って事になるのですね。差別だ!と言う気はないが、ひっそり傷付くことはある。とは言え、気を遣って化粧の話とかを私の前ではしない、なんてことされても、それはそれで凹むのですけどね。難しいな。
 今は、それなりに化粧も出来るし、服も色々着られるようになったから、気持ちに余裕がある。大人同士の会話なら、いやぁ、アトピーあるからねぇとネタにもできるけれど、それでも、ちょっと肌状態が悪い時、子供たちに「むーの肌なんでぶつぶつなの?」とか言われるとほんのり傷付きますわ。子供たちは、素直に、気になるんだろうから、仕方ないのですが。
 ましてや、最悪化時お岩さん時代は、人の視線だけで傷付いたし、読みたい記事があってもファッション誌には手が出せなかったなぁ。あの頃、タイミング良く「アトピーノ」と言う雑誌が出ていて、あれは、助かったっけ。お洒落をするための工夫、髪型の工夫。同病ならではのアイデアが色々あったっけ。
 あ、「『気にしすぎ』と言うのはかんたん」と言う話で言うなら、「自分を受け入れよう!」としつこく御忠告してくれる人が居たんですわ。そりゃそうなんですけどね、まだとてもそんな余裕が無い時にあれは、相当、追い詰められましたわ。悪気は無いのは、判るんですけどねぇ。なんというか、直接、命に関わらないものだけに、割と簡単に言ってくれてしまう人が多いのが難点。

 おっと、何の話だっけ。

 だから、大事なのは、相手を思う事。それでも思い足りないことがあるって事も自覚する事。それはお互いにそうであると自覚する事、かなぁ。でも、苦しんでる真っ只中に居ると、色々、見えなくなるんだよなぁ。ん〜、ちょっとまとまりません。