足跡と即席をひっかけて詩を書いたのは、もう随分前だなぁ。
野田地図『足跡姫足跡姫 時代錯誤冬幽霊』(あしあとひめ ときあやまってふゆのゆうれい)を観に行く。PSJ前日。アンサンブルに、JET POET繋がりの西田夏奈子嬢が出演と言うのも楽しみ。
まず、これから見る方に……ロビーに舞台模型がありますが、開演前と休憩時と終演後の3回、確認されます事をおすすめいたします。
で、ここから先はネタバレの可能性がありますよ〜。
舞台模型を見るのに並んでいた際、後ろのふたり連れの会話が耳に入る。「あんまり詳しくなくてよく判んないんだけど、十八代目十八代目って言ってるのは、なんのこと?」「さぁ」
あ〜、いや、それはさすがに……あかん、我慢できへん。
「少し前に亡くなられた勘三郎さんが、十八代目勘三郎なんですよ」
「ああ」
……ああ、と納得してくれる人で良かった。「勘三郎?なにそれ?」だったら、どんだけ説明せないかんのや。
と言うことで、ざっくり言うと十八代目中村勘三郎さんへのオマージュ溢れる舞台。それはつまり、歌舞伎へのオマージュであり、日本の芸能へのオマージュ。
ヒロイン宮沢りえさんは、「三、四代目出雲阿国」(三代目と四代目ではないです)。ヌーディーな衣装で踊る姿にドキリとする。
出雲のタタラ製鉄の話も出てきたりして、翌日にふっと、あ、あれはヤマタノオロチのことか、と思うシーンがあったりする。力を持つものがそれを奪われる。古事記に描かれたそれは、製鉄技術を持った出雲が支配されていく物語であったな。
そう、ただ芸能と言う話だけではないのだ。小数→少数から大数→大衆となり、その大衆がどうなっていくのかと言う話が出て来たり。佐藤隆太さん(舞台姿がかっこよかったです)演じる「戯けもの」が、力を持った大衆となり、御簾の向こうに消えて行ったシーンは、本当に、ぞっとした。あの鋭さ、意味するところは、けれど、あの一瞬でどれほど伝わったのだろうかとも思う。
詩を書く時にも思うのだけれど、風刺だったり政治的なことだったりを、どこまでどういう風に盛り込むのかは、いつも悩む。そればかりを描いてしまうと、かえって届かない。拒否反応を示される。クスっと笑わせつつ、するりと滑り込ませる。その匙加減。
だから、色んなオマージュと言葉遊びで笑わせつつ、ふいっと混ぜ込んでくる野田さんの手腕とセンスが、好き。
扇雀さん演じる「伊達の十役人」は『伊達の十役』のパロディ。一人何役もと言うのは歌舞伎にはよくあるのだが、そこを、そうやりますか。あの遊び心にあふれた名前を、ちゃんと字幕で出す親切心。大岡越前が、ああ、そんなことに(笑)。
古田新太さんの「死体」と遊ぶ野田さんの楽しそうなこと。お二人の信頼関係。「売れない幽霊小説家」=「由井正雪」って、もう、絶妙。
鈴木杏さんの「ヤワハダ」の生き生きしていること。明るさとしたたかさ。母親の思いを背負ってしまい、どこか現実離れしている阿国に対し、ぐっと太く現実を生きる力強さ。この対比。
そして、その二人をいいように使ってますわ、池谷のぶえさんの「万歳三唱太夫」。この役名も絶妙。手を取り合って生きる阿国と妻夫木さんの「サルワカ」の姉弟が追い詰められていく様が、この「山椒大夫」にひっかけた名前からもそくそくと迫ってくる。一方で万歳三唱となることで、どこか陽気な強さと、一瞬現れる戦争の映像で違うものが感じられたり。あの笑顔が、怖くて素敵。
もちろん、サルワカは初代中村勘三郎。「十八代目までは」とか言われたら、もう、泣きます。ずっと連なっていく、繋がっていく。これは過去のことではない、今に続く物語。〇代という言い方の示す連続性の凄み。
はぁ、もう、あれもこれも、まだまだ落ち着いて思い出したら「あ!」ってのもあるんだろうな。平成中村座を思い起こさせるシーンもありました。
ラスト近く、一瞬、「贋作 桜の森の満開の下」を思い出したりもしたのでした。
色々あふれてきて、とりとめもなく、思い起こせるままに書いてみました。
そうそう、前の方で見たと言う友人から、劇中で配られたチラシを見せてもらいました。こちらも遊び心にあふれておりました。いいなぁ。
今回は東京公演のみですが、当日券は確実に出ているようです。東京芸術劇場にて、3月12日まで。
十八代目セット=パンフレットと手拭いを購入(翌日のPSJで首に巻いていたのは、この手拭いです)。
アンサンブルの皆さんも、お見事。夏奈子さんと、はいチーズ。芸術劇場の楽屋口は、楽園王公演を思い出し、ちょっと懐かしい。