川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

お茶の時間

畑の客

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 今朝の畑にいらした方。
 茎ブロッコリーの種を採ろうと手を伸ばしかけて、慌てて引っ込めましたわ。

 

十三コース

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 大阪市内の小学校は今日から通常に。学童バイトは久しぶりのお迎え業務。新一年生を迎えに参上。
 早上がりだったので茶淹さんへ。ここで知り合った常連さんもいらして、カウンターは満席(2席)となりました(笑)
 甘いものが欲しくて、みたらし団子。番茶でいただきました。
 新茶を買うつもりだったのだけど、さて、どれにしようかな。迷って悩んで、宮崎産の釜炒り茶を購入。
 コラリオンさんにも顔を出し、十三お約束コース。

埴輪

 少し前に、古墳の円筒埴輪が持ち去られたと言う事件?のことを書いていたのだが、その結末が報道された。

 私は微笑ましく思っているのですが、ヤフーのコメントはやたら非難がましくて、なんだかなぁ。
子供たちにとっては、宝探し的な冒険、ワクワクだったんだろうと思う。何か出てくるかも、と小学校の校庭をむやみに掘った記憶がありますよ。結果、めっちゃいい感じの粘土層が出て来て、しばらく粘土掘りがブームでした(笑)。
 子供たちの好きな小説や漫画には、うっかりお宝を堀り当てたり、そこからタイムスリップしたりってのがあるし、憧れのシチュエーションだったろうなぁ。
 いつ頃から、地元の人達のタケノコ掘りの場だったのかな、と思うのです。史跡としての指定以前から、地元の人達の憩いの場であったとしたらってことも考えてしまいます。
 で、これ、私は文化財行政の失敗のような気もするのです。
 守るべきもの、地元の自慢のものであり、タケノコ掘りをすることが何故だめなのか、と言うことが、肝心な人達に伝わっていない。
 「禁止」のひとことで、寄るな触るな関わるな、になってしまってないか?地元に素晴らしいものがあるんだよ。散歩していて発見があるかもしれない。その時は掘らずに知らせてね。と。看板や広報紙でのお知らせではなく、体感する、生きた歴史教育の場にすることを怠っていなかったか?と思うのです。
 もちろん、あかんことをしたことへのお灸は必要。でも、そこで終わってしまったら、「近寄らない、興味を持たない」になってしまっては、なんのための教育委員会だ、と。
 お説教だけして、その好奇心を芽を摘むことはして欲しくない。なんなら、発掘調査(やるのならば)に彼らを呼んで欲しいと思う。出土品の整理作業、マーキング、接合、復元、図面書き。学びのチャンス。
 反省しろ!二度とやるな!で終わらせるのは、あまりにもったいない。やってしまったことの意味、それらをどう扱うのかを体感すれば、それは次の世代にも引き継がれるのではないかな。
 正しさだけでは、大切なことは子供の中に落としこめないな、と思うので。
 そして、やらかしたことの責任を感じると言う意味でも、あの円筒埴輪はプロフェッショナルに修復して、役所なりに展示して、子供達、その親たちに見せて欲しいところ。
 ……ちなみに、20代の頃に勤務した高校の隣には須恵器窯があり、表採した須恵器片を持ってらっしゃる先生がいらして、ありがたく授業で使わせていただいたり、「生徒連れていくので、一緒にどうですか?」と同行させて貰ったりしました。

 国史跡の大塚山古墳(奈良県河合町)で円筒埴輪(えんとうはにわ)2体が掘り出され、うち1体が接着剤でつぎはぎされて現場付近に戻されたことについて、町教育委員会は12日、タケノコ掘りに来た近所の住民が