川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

こどものココロ

 夏は苦手な季節だけど、舞台の上の夏は、好き。維新派の夏の景色、少年王者舘の夏の匂い。そこには、いつも子供たちの姿がある。
 と、そんなことも思いながら維新派を見ていて感じたこと。

 子供を演じるとき、あるいは子供を相手に演じるとき、子供っぽいことをするのが私は嫌なのだな、ということ。子供は、本人のその段階で、精一杯大人なのだ。短い時間とは言え、自分が経験してきた時間の精一杯の背伸びをしているのが子供。ものを考えること、生きること、遊ぶことに手を抜かない。そんな子供の姿が好きなのだ、私は。もう、小学生の女の子なんか、いっちょ前の口を聞いてくるわけで、侮ってはいけない。

 だから、今回の非常勤仕事で高校生を相手にしたときに、違和感を感じたのだ。大人になること、大人であることから逃げている姿をしばしば目にする。もちろん、そうなった背景、というのはあるのだろう。しつけ、と言うものをされてこなかった、甘やかされてはいても、甘えることは出来なかった、それぞれの事情。育ってきた過程。

「かわいそうな子」

 そう言って、甘えられる存在になってやる教師も必要であろうことも、頭では理解できるのだが、私の感情は付いてこない。大人になってくれ、自律してくれ。なぜ、そんなに手を抜いた生き方をするのだ。いつまで、ひとのせいにするのだ。もう、自分で道を切り拓いていってくれ。
 もう子供ではいられない、もう少し子供でいたい、という十代後半心理の複雑さもあるのではあろうが、どうにも、いただけない。

 まぁ、一番いただけないのは、そんな自分を伝えるだけの言葉を持たないということ。聞く、話す。基本的な国語力の低下。自分の苛立ちも、腹立ちも、悲しさも、喜びも、きちんと伝える術を身につけていない。ほんとに、単語でしか喋れない姿に、驚くことしばしば。もちろん、すべての高校生がそうだというわけではないのだが…。