川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

三平と勘平、箕面と戸塚

 私の故郷箕面には、「萱野三平前」と言うバス停がある。

 他所の人に笑われるまで、このネーミングに違和感を持っていなかったなぁ。で、何があるのかと言えば、江戸時代の武士、萱野三平の旧邸があるのだ。
 萱野三平とは、赤穂浪士の一人。ただし、討ち入りには参加していない。出来なかったのである。仇討ちに参加するつもりでいたのだが、父親から仕官を強く勧められ、主君への忠義と親への孝行の板ばさみとなり、大石内蔵助へ約束を果たせぬ侘びを書いた遺書を残し、主君の月命日に切腹してしまったのである。
 ちなみに刃傷事件の際、早籠で第一報を伝えた使者の一人でもある。途中、偶然母親の葬儀に行き会うが、お家の大事と手を合わすだけで、先を急がせた、と言うエピソードでも知られる。

 一般的に知られている人ではないけれど、箕面人にとっては、馴染み深い忠臣蔵の登場人物。48番目の義士とも言われるのだね。

 ただし・・・

 歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』では、萱野三平をモデルとして早野勘平なる人物が登場する。いわゆるお軽・勘平で知られる人物。恋人お軽といちゃついている間に刃傷事件発生。これを恥じて腹を切ろうとするが、お軽に説得され、彼女の実家(山崎)への道行きとなる。で、このあと更なる悲劇が起きて、結局切腹・・・。あれ〜?なんか、三平さんと違うよ〜。と思ってしまうのである。微妙に釈然としない・・・。いやまぁ、『仮名手本忠臣蔵』の中では人気の高いキャラなんだと思うし、それはそれで良いのだけれど。

 さて、そんなお軽・勘平の道行の場の舞台が、実は、今私が住んでいる戸塚なのである。(戸塚山中道行きの場。)まだ見に行ってないが、碑も立っているらしい。

 箕面と戸塚がこんなご縁で繋がっていると思うと、ちょっと嬉しくなってしまうのである。なんのゆかりも無い土地だと思っていたのにね。


 そんな戸塚での暮らしも、もうすぐ一年。その締めくくりに、この地での初めての年越しである。
 掃除はなんとかやっつけたぞ〜。お飾りもしたぞ〜。あとは年賀状とおせちだぞ〜。でも、今日はもう寝るぞ〜!