思い出。
福井県大野市は豪雪地帯。相方が生まれる際、1階は雪に埋もれていて、両親は2階の窓から電線を跨いで産院に向かったのだとか。
「最近はそこまで積もらんし、お正月の頃はそんなに雪降らないよ」
と言われていたのに、結婚して最初のお正月は、がっつり雪。少なくとも、大阪っ子の私には、足が埋まる雪は十分がっつり。車で到着。助手席のドアを開けかけた私に、義父は玄関から飛び出してきて、
「むっちゃん、ちょっと待ちぃ」
と言いながら、スコップで雪をかき、玄関から助手席までのルートを作ってくれたのでした。
その後も、何度か雪のお正月。雪下ろしとか、足手まといになるだけの私に
「むっちゃんはその辺で遊んどき」
と言う義父。素直に雪だるまづくりにいそしむ30過ぎの嫁もどうよ(笑)
いや、まぁ、地面の雪かきは多少やりましたよ(;^_^A。
相方の家では義父も義母も義兄も、私のことは「むっちゃん」呼びでした。照れくさくもあり、なんだか嬉しくもあり。息子二人の家庭だったので、「娘が出来た」と可愛がって貰いました。
本当は、孫の顔が見たかったのだと思うし、申し訳ないなと思う気持ちもあったけれど、そのことを言われた記憶は一度もなく。あ、一度、私が口にしたことがあったな。その時、義母は「むっちゃんはアトピーで大変だった時期があるんだから、その分しっかり自分の人生を楽しみなさい」と言ってくれたのでした。
もちろん、しょっちゅう顔を合わせる訳ではなく、お盆とお正月とGWに訪れると言う距離感だったからこその円満な関係だったのかもしれない。それでよしとしてくれるお二人に、甘えていたんだよなぁとも思うのです。
残念なのは、詩のボクシング全国大会。せっかく応援に来てくださろうとしたのに台風接近でかなわなかったこと。
判りにくいから表記として義父、義母って書くけれど、私の中では30過ぎて出来た、もう一人の父であり母であり。
だから、義母の葬儀を描き、詩人会議新人賞をいただいた詩「骨と灰」は、あえて父母表記にしてました。
あの時、お骨上げに立ち会わなかった父。実家には、母の暮らしのあともそのまま。ずっと、一緒にいたかったんだろうな。
今、十数年ぶりに、一緒に過ごしているのかな。