昨日、ウイングフィールドでのお手伝い終了後は、恵美須町へ移動。観劇三昧さんに寄ってから、インディペンデントシアターへ。福島三部作一挙上演。夜の第三部だけなら観れる!と。
原発以前の福島、誘致する福島、事故後の福島を描く三部作。第三部は、のっけからあの日の再現で、容赦がなかった。それだけで、ぐっとつかまれた。あれは、生半可な覚悟では出来ない。一気に、あの時に引き戻された。
横浜で感じたあの、揺れ、恐怖、不安。三年前に釜石に行った際に感じたこと、景色。色んなものが押し寄せてきた。
阪神淡路の記憶も遠くなってきた関西で、あの日、関西にいた人にとって、あの冒頭はどんな風に感じられたのだろう。
舞台は、あの日から半年以上過ぎ、年末の特番を考える福島の放送局の人々、取材される人々。語りたい言葉、語られたがる言葉を模索する姿を描く。
容赦なく、抉ってくる。誰のための取材なのか、誰のための番組なのか。
離れた、安全な場所にいるこちらも抉ってくる。
あの頃、横浜にいてすら感じた不安。洗濯ものを干していいのか、窓をあけていいのか。野菜の産地が気になったり。子供達と関わる仕事だったから、余計に不安になっていたのかもしれない。彼らに与えるものは、なにが正しいのか。携帯で、毎日モニタリングポストの数値を確認していた。それでも、横浜ならそこまでだった。確かな暮らしが、そこにあった。取り戻した日常があった。
舞台で描かれる、地震と原発事故で暮らしが根こそぎ奪われた不安と怒りと悲しさと。
容赦ない、本当に容赦がない。これを上演した谷賢一氏の、役者の、スタッフの覚悟。
これが、演劇。舞台でないと出来ないこと。舞台だから出来ること。
昨日は防災の日であったな。