川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

手話裁判劇「テロ」

インプットな時間が続いている今月。

 KAVCで観てきた手話裁判劇『テロ』のことも。
 これは、表現方法としての面白さと作品としての面白さと。
 ということで、まずは表現方法として。
 手話劇。手話の役者と声の役者との二人一役が基本。この形は、2009年に、大橋ひろえさんプロデュースの「ヴァギナ・モノローグス」でも見ていて、とにかく面白かったことを覚えている。手話と声、どっちが主役と言うのではなく、どんどん混然としていく。声を手話で通訳しているのでも、手話を声で通訳しているのでもない。手話と声でひとつの表現となっている。手話劇と言うジャンルとして成立して良いのではないかと思う。あ、この前NHKでやってた手話怪談も面白かったな、というのを思い出す。表現として魅力的なのだ。
 これって、手話はクリアに見えていないといけないし、無駄な動き・表現を排除しつつ、舞台表現の面白さをって、役者の身体能力が問われる表現形式だとも思う。まっすぐ舞台に立つ役者の美しさ。
 終始ワクワクしておりました。文楽とかク・ナウカが好きな自分の好みを再認識。

 そして、作品について。
 こちらは、ワクワクどころか、はなはだ、きつい。裁判劇。
 テロリストにハイジャックされ、7万人の観衆のいるサッカースタジアムに突っ込もうとする飛行機。これを独断で撃墜した空軍少佐が裁判にかけられる。乗客乗員164人を殺し、観衆7万人を救った彼は、有罪か無罪か。
  二部構成。第一部での裁判、弁護人と検察官、証人のやりとりを見守る観客には赤と黒のコインが渡されている。そう、判断するのは私たち観客(参審員の皆様と呼ばれる)。第1部が終わって休憩の間に投票。その結果で第2部が上演される。
 結果としては私の回は有罪判決(95対74)。無罪だったらどんな判決文が読まれたのか。というか、これ、日本では有罪率が高いのだそうな。まぁ、この、有罪か無罪かって2択もどうなんだとは、裁判員制度を見ていても思うけど。
 それはそれとして。
 あのまま飛行機がスタジアムに突っ込んでいたら、それはそれで、少佐は世間からバッシングされるだろうな。いずれにせよ、彼は一生、重荷を負うことになる。むしろこれは、避難誘導の措置を取らなかった上の人間たちの罪が問われるべきではないのか?なぜ、現場の、最前線の、その一人にすべてを負わせるのだ?そもそものこの裁判の理不尽さに異議申し立てをしたくなってしまった。
 少佐自身が、こうしたテロを想定した法の制定に「無辜の民を殺してはならない」としてストップがかかったことに対してのNOと言う意志があり、自分自身の信念のもとでの行為の頑なさがあるのだが、その彼の中の揺らぎが見えるシーンがあった。一瞬のその背中。信念でもって支えれれていた、自分は間違ったことはしていないと言う思いが揺らいだ瞬間。7万人を救ったと言うことに支えれていた彼に、164人を殺した重さがのしかかった瞬間に見えた。だからこそ、それ以上に彼に罪を負わせることは出来ないと私は思ってしまったのでした。
 あと、判決文で述べられた判例はちと納得できず。やっぱり、無罪判決バージョンが気になります。