川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

宮沢賢治は、嫌いだった

ochamatsuri2006-11-02

 いつまでも、トップにお月見の絵というのもな、と変更。少し前に撮った、万博公園の彼。あの、腹の横顔が好き。


 それはさておき。


 語り芝居で宮沢賢治をやっているせいか、「宮沢賢治大好きっ子」と思われることがある。
 ・・・好きになれたのは、最近のこと。子供の頃はずーっと嫌いだった。このあたりは、語り芝居でのねたにもしているのだが、「雨ニモ負ケズ」は「何をわかったようなことを。綺麗にまとめすぎやねん。」と思っていたし、「ヨダカの星」は「私は死なないかんのかい?」と思ういじめられっ子。
 それでも、高校生ぐらいの頃にはもう一度挑戦したのだが、やはり、よく分からなかった。

 ところが芝居の世界にいてると、やたら宮沢賢治が出てくる。避けられない。(まぁ、特に、黒テントの学校やったからなぁ。)目で読むのではなく、声と体で挑戦することになる。と、あれ、面白い?
 その辺りから、あれこれ読み始めた。詩を読んだ時は驚いた。「雨ニモ負ケズ」と全然違うやん!面白いやん!なんやこれは!!
 どういう人やねん、と思い調べ始める。貧乏やなかったんや。金持ちのボンか〜。家の仕事嫌いながら、その金でよく学びよく遊んでるやん。
 貧しい人を救いたい純粋な思い。その後ろにある自分の俗っぽさにも気が付いている。

 矛盾をいっぱい抱えて、ジタバタしている彼の姿が見えてきた。魅力を感じた。そこから、自分で彼の作品に挑戦しようという思いが生まれたわけだ。


 でも、世の中には、「賢治先生万歳!」的な実に宮沢賢治信者が多い。思想的なことと結びつけて奉るような気配。牽強付会?。で、そんな気配に嫌悪感を感じて食わず嫌いになってしまう人も多い、という事実に突き当たる。
 実際、昨年宮沢賢治作品に取り組み、その宣伝をしていた際にも、「だって、宮沢賢治でしょ?(食わず嫌い)」「子供向け?(教育的作品と言う誤解)」「すごく、感動的よね(盲目的崇拝)」と言う反応に戸惑うことが多かった。

 色んな意味で悲しいな。私自身の作業が、見ないままに誤解されるのもな。と、ちょっと危機感を感じ、本日の日記と相成り候。

 
 かつて嫌いで、今は好き。そんな私の思う宮沢賢治作品とは…。

 教育的な何か、教訓を、言葉で説明できる作家、作品ではないぞと私は思っている。 
 今、読んでいて面白くてしょうがない。突っ込みどころ満載。読むたびに、違うものが見えたりする。この人、あえてわかりにくく、一筋縄で解釈できないようにぼかしまくっているんじゃないか、と思う。私にとって、彼は、才能溢れる、愛しき変人さん。