詩人と言って一般的に名前があがるのは、まず、谷川俊太郎さんなんだろうなぁ。そして、女性で名前が上がるとしたら、茨木のり子さんなんだろうなぁ。
そんな茨木のり子さんをテーマにした舞台グループる・ばる『蜜柑とユウウツ〜茨木のり子異聞〜』を観てきたのは、あら、もう十日も前でした。@東京芸術劇場(ロビーで原ちゃんらしき姿を見かけたのに、久し振り過ぎて確信が持てず、声掛けそびれたのが残念)。
http://lebal.jp/stage/new/
東京公演が終わって、あ、北海道公演も終わりましたね。まだ、山形、大阪、愛知公演があるので、以下、感想です。と、予防線を張ってから……
死後に出された詩集『歳月』から生まれた物語、と言ってもいいのだろうか。それまでの茨木さんの詩のイメージとは異なるその詩集。そこにあるのは、亡くなったご主人への愛。
舞台上でクローズアップされるのは、ごく当たり前の家庭人であった姿。だから、だろうか。舞台上では彼女の詩が何編か語られるのだが、多くの人が叱られたくて、自分に喝を入れるたくて読む「自分の感受性ぐらい」は出て来ない。
なんと言えばよいのかな、戦争が終わって、それまでの価値観がひっくり返って、ちゃんと見たい、感じたいと言う思いが、ことさらに激しいものとしてではなく、至極当たり前の、自然にそうなった事、のように見えた。
安保反対を叫ぶデモに行って来て、興奮して語るのり子に対し、冷静に見る事を求める夫。波に飲まれ、熱に浮かされるのではなく、しっかり地に足を着ける事。この、しっかりと碇のような夫の存在があったからこそ、のり子さんは自由に、思い切りよく言葉を紡ぐことが出来たんじゃないだろうか、そんな風にも感じた。
そして、家庭人である彼女と対比するように登場するのが、岸田葉子……って、これは、岸田衿子さんですよね。谷川俊太郎さんや川崎洋さんは実名登場なのに、なぜ?響きから、そして谷川俊太郎さんとのつながりから、つい佐野洋子さんも連想してしまうのですが……
それはさておき、この葉子さんとの生き方の違い。でも、互いに尊敬し、あこがれも抱き、そしてべたつかない友情が、いいなぁ。からりとした付き合い方をしているだけに、のり子さんが亡くなった事への葉子さんの嘆きが、その深さが、胸に刺さったのでした。木野花さん、舞台は久しぶりに拝見したのですが、さすが。素敵でした。
と言うことで、ざっくりと感想。詩の世界にも関わっている身として、考える事多々あり、でした。