川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

不幸の基準

 夜は楽園王『図書幻想』の受付お手伝い&観劇。あべあゆみ嬢も一緒でした。
 ああ、出たかったなぁ。と言うことは、今は言うまい。
 ストーリーをざっくり説明するのが難しい。屋上にやってくる人、手がかりのない本を探そうと図書館にやってくる人、探す人。人形。神様?天使?堕天使?生と死、前作『物語』と重なるシーン。
 世界はあっちに行きこっちに行きしながら繋がっていく。
 気が付くと登場人物と一緒にぐるぐると世界をさまよっている。
 そこに描かれるのは命。自分の命、他人の命。どちらも、安易に触れていいものではない。ただ見守るのは天使か悪魔か。神様か死神か。
 響いたのは、「人は自分の基準で不幸をはかる」と言う話。ああ、そうだよなぁ。ポエトリーリーディングでも、自分の不幸や病気を語る詩を詠む人はしばしばいる。それが駄目だとは思わない。けれどそれが、こんなに大変、知って欲しいと言う思いだけが前面に出てくると、ちょっと苦手なのだ。
 そこには、他者の抱える不幸への想像が感じられないから。「あなた達はこの苦しみを知らないでしょう」と訴えてくるあなたは、私の抱える苦しみを知らないでしょうと言いたくなる。
 だから、書くとしたらどうやってそこを超える作品を書くか、なんだよなぁといつも悩む。アトピーとか、過去のトラウマ的出来事とか、作品にしたくないわけではないけれど、青年の主張じゃないんだから、詩なんだから、詩作品としての力が無くてはならないから、ただの知ってよアピールにならないために試行錯誤。
 と、最近、ちょっとぐるぐると考えていたことに、すっと当てはまる言葉が出てきてびっくりしたのでありました。
 日記→ニッキで少年隊に持っていくと言うおっそろしく寒いネタは、おっそろしく寒い間と無反応で容赦なくばっさりとやってくれたことが、内心、かなりツボでした。それでもや。いや、あの、出演者でもわかる世代は少ないんじゃないですか?

 差し入れには、なぜか関西銘菓ではなく、江戸東京博物館で買ってきた「雷おこし」。ああ、もう、次の時は大阪の粟おこしだな。
 受付に居たおかげで、出演者以外にも懐かしい人に会え(まぁ、その可能性は狙っていたのだが)、ちょっと嬉しかったのでした。

 しかし、よんどころない事情にて、滞在を早く切り上げることになり、もう一回入る予定だった受付手伝いが出来なくなり、申し訳ない限り。2作品連続公演のもう一本『旅行記とその船』を見られなくなってしまったのも(リハを拝見させていただく予定でした)、残念無念。