魚崎のアーモンド並木です。昨日見に行ってきました東灘処理場(下水処理場)震災復興のシンボルとして、運河沿いに設けられたアーモンド並木。
お天気も良く、正にゴッホが描いたような、青空を背景にした花の姿でした。
初めてその絵『花咲くアーモンドの木の枝』を見た時(テレビでだったかな)、あまりにも穏やかで優しくて、すっと惹きこまれ、え?これゴッホの絵なの?と、新鮮な驚きがありました。
才気走り過ぎていたゴッホ。生きている間はなかなか評価されず、それでも信じ支えてくれた弟のテオ。そのテオに子供が出来、フィンセント(ゴッホの名前)とつけるのだと聞いた時の喜びはどれほどのものだったろう。テオの奥さんも、テオとともに、ゴッホの理解者であったとか。
愛しい甥っ子の部屋に飾るために描いた絵。だから、こんなに穏やかなんだなぁと思う。ただただ、愛しいものに贈りたいと言う思いで描かれた絵。喜びにあふれた絵。
この絵を知って以来、一度見たかった、本物のアーモンドの花。ようやっと会えました。花は桜よりひと回り大きく、色もピンクがかっているけれど、遠目には、あれ?もう桜が咲いてるの?となります。
途中のスーパーでいかなごのくぎ煮のおにぎりを買って、目も口も春でいっぱいになりました。
しかし、改めて考えると、宮沢賢治とゴッホの共通項に驚いてしまう。高い理想、なかなか一般には評価されない苦しみ、自己顕示欲と芸術への真摯さ、支えてくれる弟の存在。
きっと、なにか通じるものを賢治自身感じていたんだろうなぁ。彼の作品には、ゴッホの名や糸杉が出てくる。
だからって、何も寿命まで同じにならなくても。ともに、37歳と言う、早すぎる死。生前から高く評価している人は実はいたわけで、死後、評価がぐっと高まったのも同じ。
そんなことをつらつら考えながらのお花見散歩でした。
「サイプレスいかりはもえてあまぐものうづまきをさへやかんとすなり」(宮沢賢治『春と修羅』「ゴオホサイプレスの歌」より……ゴオホ=ゴッホ、サイプレレス=糸杉)