ゴッホ展
ゴッホ展、休止からの再開。土日は避けよう。あまりに人が多ければやめようと思いつつ出掛けたのでした。



体温チェックを受けて館内へ。
デッサンは、生の筆致が感じられ、食い入るように見てしまいました。
彼が絵をどんな風に学び、どう変化していったかが判る構成がとても面白かったのでした。
外に出る事が出来なかった時期に描いた静物画。パリに行き、色彩に目覚めて描いた絵。印象に残ったのは風車の絵。その足もとにいる人たちの衣装の色鮮やかさ。そのことによって、なんだか風車までが楽し気に見える。お世話になった人を描いた絵は、なんとも暖かい。こちらにいて、相手を見つめ描いているゴッホ自身を感じる。
今回のゴッホ展を観に行くことにこだわったのは、宮沢賢治との繋がりって言う意識で観たかったのもある。どちらも弟の支えがあった。賢治自身がゴッホに惹かれていたらしいこと。ゴッホを詠んだ短歌があるのだ。賢治作品にも登場する糸杉。そう、ひまわりより糸杉が観たかったのだ。
散策
兵庫県立美術館の周り。






・「ポエム」詩人の皆さん、気になりません?
・おにぎり屋さん、お金を置くお皿もおにぎりでした。
・駅



その他、街中で出会った景色




花見
ゴッホは、子供の頃に読んだ伝記は好きだったけれど、彼の絵は、なんだか見ていると苦しくなって苦手だった。ずいぶん大人になって、弟さんとのエピソードの中で紹介された「花咲くアーモンド」の絵に心を奪われたのは、いつだったろう。ずいぶん大人になってから。こんなに暖かくて優しい絵を描くんだ、と思った。そして、それは日本の浮世絵の影響も感じる絵。
ちょうどその頃に、アーモンドと桜がよく似ている事を知った。モノレールから見た景色が桜にしては早いな、アーモンドなんだ、と知ったのもその頃だったか。なんにせよ、その辺りのことが近いタイミングだったはず。



と言うことで、アーモンドの絵葉書を買いたいと思ったのだが、残念ながら売り切れらしく、ペーパーと、コップに差したアーモンドの枝の絵葉書を購入。
そして、神戸の水道局のアーモンド並木へ。







運河沿いの小さな並木。一昨年の台風で潮水被ってしまったので、駄目になったのもあるんだろうな。
桜より少し大きな花。見に来れて良かった。
地元の景色



・子供たちの遊びの跡
・遊ぶ雲
・近所の保育園の駐車場のお隣のお家の窓のシャッター。
実は、駐車場とお家の間にはフェンス(多分、防音)があるのだけれど、ここだけ低くしてあるのね。窓があるからなんだけど、その窓のシャッターに、これ。なんか、いいなぁと思うのです。
うっかり
午前中から出掛けていた一日。スマホを忘れて出掛けました。行きなれていない所へ。
駅前で地図を確認したり、駅員さんに訪ねたり。
あ、こんな時にも最近の私はスマホに目をやっていたんだ、と気が付く瞬間があり、久しぶりに撮りたいと思ったものは全部カメラで撮り、電車の中ではスマホで数独ではなく、山之口貘を読み。
ゆったり、良い一日でした。
帰ってみて、特に緊急のメールなどもなさそうで……
って、しまった、一件、私が連絡し忘れていた方からの電話が。あ~しまった。