先のことを考える。
5月の予定、ブックフェスタも公民分館から依頼を受けた朗読講座も飛びました。さて、その先をどうするか。
一人の大人として考えること。今の自粛はやむを得ない。でも、その結果として、この騒動が落ち着いた後の世の中をディストピアにしないこと。コロナ以前から、相互監視、自己責任論、ヘイトと言う気持ち悪いものが顔を出していて、それに拍車がかかりそうな怖さがある。って、その、怖がるってのが、もうそっちに飲み込まれることにもなるのか。
はい、しません。そんなディストピアにしません。関わって来たたくさんの子供達、生きる力にあふれた彼らに渡す世界をそんなものにしません。
と、あまり力むのもなんなんですが、どうにもその辺りに危ういものを感じるので、表現に関わるものとしての矜持を、表明しておこうと思うのでした。
と言うことで、先に向けての動きを始めます。やっぱり、お茶祭り企画は出掛けて行ってなんぼです。トップに置いてる未来日記部分に詳細を書いておりますが「呼んで下さい、お茶祭り企画」なのです。フットワーク軽いです。小さなスペースで出来ます。やりますよ。
と心に決めたところに、横内さんの日記が上がって来ました。
強く、心に響きました。
私は私で、ここで、この先を考える。
『女の一生』の作家、森本薫の書簡を思い出す。
『女の一生』の初演は1945年4月(東京大空襲は3月)。劇団疎開の準備も進む中、諸々の準備も稽古も大変。「ぶっつけ初日だ」と書いていた、その初日。劇場の前に並ぶ人々。この部分に、涙が出そうになる。
これだけ人との直接の関りが制限されて、そのしんどさも味わって、その後。演劇の出来ることがたくさんあるはず。この身ひとつ。立ち続けます。