やっぱり、16人で作る場なのだなぁ、と改めて思ったのでした。
でも、ともすればその事を忘れそうになる。勝負意識が頭をもたげてくる。そうじゃないだろう、こだわるべきはそこではないだろう。何故、あの場に行きたいと私は思っている?あの場で生きるにはどうすればいい?
それは、結局、役者として必要なことと同じなんだなぁと思う。そこに生きること。去年の夏に受けまくったワークショップで得たことを、思い返す。うむむ、一年近くたって、ようやく自分の中に落ちてきた感じ。相変わらず、遅いなぁ。
あとは、詩そのもの。「パフォーマンスだけ」とは言われたくない。と言う欲はあるのだな。それを助けてくれたのは、ここ最近出させていただいていた一連のライブイベントだったと思う。じっくりと言葉を聴いて貰える場で、時間も気にせず読んできた。即興音楽やお客様の反応、感想で気がついた事を元に手直しを繰り返し。
と言うことで、今回は場所を借りての練習はしないことにした。(いや、まぁ、そんな余裕も無かったのだけど。)自分がこの一年で得てきたことを信じよう。だから、ホールに入ってからは、どれを読むかと言う選択作業以外では、読み直しはしないことにした。
と言うあれこれの、何が上手く作用したのかなんてことは、実際のところ判らない。そんなもの。もっともらしく言ってみたところで、そんなの、所詮は後付けでしょう。
ただ「もっと聴きたい」と思って下さる方が居たことが嬉しくてありがたいのだと思う。
で、それは私だけではないのだと思う。出場選手一人ひとりに対し、「私はあの人のをもっと聴きたかった。」「私はこう感じた。」と思うお客様がいて、成り立っている場。
やっぱり、16人で作る場なのだなと、そこに行き着く。
あ、違うな、16人とお客様で作る場、だな。
と、もちろん、詩のボクシングの問題点もあれこれあると思う。私自身の思うところもある。でも、ま、それは、主宰者に話すべきこと。
何はともあれ、楽しき一日でした。皆々様、ありがとうございました。
で、相方曰く
「体調悪くてろくに準備も出来なくて、余裕もなかったのが、良かったんじゃないの?」
あはは、そうかもね。
帰宅後、いっぱい駄目出しをされました。「あの詩はあれでは伝わらない。」とか「この詩はジャッジには届いていたが、客には届いていない。」とか・・・。はい、ごもっとも。