川島むーのお茶祭り日記

お茶祭り企画代表、川島むーの心に映り行くよしなし事を、あれこれと

路地を抜けたら、ろじ式

ochamatsuri2009-11-02

 で、いつまでも日記が路地の屋台をさ迷っているのもね。はい、書きます。肝心な公演のこと。

 って、その前に、屋台と投げ銭ライブは出入り自由です。公演チケット無くても楽しめます。西巣鴨方面にお出掛けの方は、是非どうぞ〜。公演は、当日券が出るそうです〜。こちらも是非〜。・・・って、明日までやないの・・・


 と言うことで、土曜日に観て来た維新派「ろじ式」について。

 以下、ネタバレの可能性あり。これから観劇の方は、ここらで引き返して下され。














 

 路地を抜けて会場(体育館)に入る。おほ〜、骨だ骨だ、ホネホネだ〜。骨格標本が並んでいる。くねっている蛇のんが素敵。横目に観ながら客席へ。おわ、舞台上にもホネホネ。で、渡されたリーフレット見たら、ちゃんと書いてあるよ。協力「なにわホネホネ団」って。そういうことか。
 ん?「なにわホネホネ団」が判らないと言う方は、こちらをどうぞ。
  http://www.mus-nh.city.osaka.jp/wada/honehone/
 こんなゆるい名前を付けてしまったセンスが、好きです。

 開演。暗転明けの維新派にはいつも、はっとさせられる。舞台に浮かび上がる、セット、人。あぁ、維新派は美術なんだと思う。
 今回は屋内と言うことで、照明をコントロールできる。シルエットを効果的に使える。そこを存分に使おうとしている気がする。今回のセット、シルエットが映えるんだもの。枠組みだけの箱。その中に骨格標本。舞台に詰まれたそれらの箱。役者達がその間を走り抜けたり、箱を積んだり降ろしたり。それらがクリアに浮かび上がる。
 奇麗過ぎる、と思ってしまうのは野外を見続けているから。でも、維新派は美術だ、と思えば、これもまた、確かに維新派の形。

 舞台上で動く役者達の動き、フォーメーション。このグループの動き、あのグループの動き、重なったりずれたり。ダンス、とも少し違う。マスゲームと言う人もいるけれど、それには違和感を覚える。確かに、計算された動きではある。それは、カラクリ仕掛けを連想する。ただ、各役者の動きは、結構バラバラなのだ。指定された動きがそれぞれの役者の身体を通す事で違ってくる。そこは、合せようとしてないよね。だから、それらが組み合わさった時、ゆらぎ、が生まれる。それが心地良い。
 
 維新派の登場人物を、私は勝手に「子供組」「お姉さん組」「お兄さん組」と分類している。あ、もちろん、役者さんは全員、立派な大人です。で、今回、お姉さん組が、ちょっと維新派っぽく無い気が・・・。特に、後半での動きが、コンテンポラリーダンスっぽい気がした。演出?それとも、そう言うタイプの役者さんが入ってるって事かな?

 今回の作品は、どちらかと言うと、イメージを繋いで行くタイプ。動きも、言葉も。だから、台詞らしいものは、ほとんど無い。苦手な人は、苦手だろうなぁ。明確なストーリー、台詞(文章)が好きな人は、寝てしまうかも。イメージの連鎖をつかみ損ねると置いてけぼりになりかねない。次々と発せられる言葉、言葉、言葉、動き、美術・・・それらがある瞬間に繋がって、一つのイメージを結ぶ。ふっと自分の中で浮かび上がった瞬間、ぞくっとする。

 「昔」は「無か死」なんだと気が付いた時は・・・こ、怖かった・・・

 もちろん、楽しげなシーンもある。「可笑シテタマラン」は、うん、可笑しかったよ。野菜の下ごしらえが歌われる。いやいや、じゃがいもの芽ぇ取りって言いながら、目ぇ取ってますから。腹裂き、股裂き、釜茹で・・・下ごしらえが、段々ホラーになってますってば〜。好きだなぁ、この感覚。
 でも、これも、野菜が解体される過程な訳で、骨格標本達とイメージが通じている訳で、そうか、と気が付いたりする。

 骨格標本ばかりだと見えた舞台は、少しずつ、違う物が混ざりだす。終盤では、日用品あれこれが標本となっている。人類の記憶を辿るように始まった舞台が、いつの間にか、懐かしい日の思い出を辿るような・・・
 このあたり、今回の作品が「《彼》と旅をする20世紀三部作」の第三部に向けての序章であると言うことに繋がる訳で・・・あぁ、第三部は来年。観たいです。

 いや、その前に、現在、阪大博物館で行われている維新派展を観に帰りたいっ!そういえば、今日はM木君がレクチャーをしているはず。何を喋ってるのかなぁ。